塚原学園物語

六万石

2012年08月03日 05:36

塚原学園(現 創造学園)


屋上に見えるドームは、本物の天文台で、
当時、国産第1号の望遠鏡が導入され、開所式も行われた(昭和37年)。

この校舎は、昭和36年,私が赴任した当時は、
北側(画像右側)半分だけができていて、
南側(画像左側)は、ちょうど基礎工事が行われていた。

塚原善兵衛、理事長兼学校長から、
「若い先生方は工事を手伝いなさい」
との命令が出て、私も、作業に参加し、必死で土を運んだりしたものだ。

当時、生徒の急増期で、全校生徒数1500名。
普通科、商業科、工業科、家政科。
さらには、音楽科。
音楽科の生徒らはピアノ室(個室)まで与えられていた。

私が英語を担当していた女子商業科は1クラス63名。
後方の席の生徒らが、かすんで見えた。


現在の正面口。






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昭和40年代に教職員組合の労働紛争があり、
生徒が減ってしまい、
一時は廃校寸前まで追い込まれていた。

バレーボールの名将壬生監督を校長におし立てて盛り返した。

春高バレーで、知名度は全国レベルとなっている。


来年、JR村井駅前に移転するとのこと。


(これは、篠ノ井線の車中からの写真です)






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≪聖地巡礼≫

南松本駅前

ここを直進します。

国道19号との交差点 

ここを右折して、国道沿いに進む。

松本平のシンボル電波塔

この電波塔、松本平のどこからでも見えます。
ここで左折して、笹部(ささべ)方面へ。

400mほど歩くと、ドームが見えてきました。


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帰途は、松本駅西口を目指して、征矢野方面へ。


この川には、昔、透明な水が豊かに流れていたが・・・

征矢野交差点

直進して、ひたすら歩く。


上高地線「渚(なぎさ)駅





ここで、電車には乗らず、さらに直進。

国道19号、渚三丁目へ出てきました。

コンピュータ専門学校。

ここまでくれば、あとは、渚橋を渡ると、松本駅西口は、すぐそこ。

あちゃ! 通行止!


少し迂回して、無事、松本駅西口に到着。



全行程、5km ぐらいだったでしょうか。


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2017.2.2 (THU)