福祉ではなくてマナーでは?

六万石

2014年05月08日 13:41

<5/5記事へのコメント>

難聴者の括りを取り払って欲しいと感じています。

長い間聴覚障害者基準に届かなかった為
「事実として生活に支障」が出ているにもかかわらず
何や公的支援を受ける事が出来なかっただけではなく
どんな支援があるのかも全く知らされていないし、
そもそも支援があるなんて事すら知らなかったのです。

今も思うのは、中学・高校生の時の語学授業に
何らかの配慮があったらと今でも思い返す事が多々あります。

普通に授業を受け、普通に授業について行くだけなのに
人一倍も二倍も努力し、ようやく普通になれる辛さ。
普通より少しでも抜きん出ようとすると、
途端に大きな壁が立ちはだかったように記憶しています。

児童・学童・学生には、
「現に聞こえに支障」をきたしておれば、
全面的にそのバリアーを解消して欲しい。
バリアーを解消する技術的ポイントは既に確立しています。
極めて単純なのです。
ただ文字で保障すれば良いだけなのですから。

Posted by 西 at 2014年05月06日

「ただ文字で(情報)保障すれば良いだけなのですから」
御意!
電車の中で、お年寄りや妊婦に席をゆずる
それは福祉でもなんでもない。
マナーですね。
聴こえない者には文字にしてメモで伝える、
それもマナーだと思います。
そういうマナーが、一番欠けているのは
「先生」
と呼ばれている人種ですね。(ROKU)