2014年05月16日 19:49
サラダトーク後日談
定年退職後は、ほぼ毎日塩尻総合文化センターの図書館に自転車で通っている。
通称「白樺通り」をはさんで北向かいに、こじんまりとしたビルがなんとなく遠慮がちに存在している。
「JA農事放送」の看板がある。その建物の前を通るたびにかねがね、「なんだろうか、この建物は?」「こんなところに放送局が・・?」と訝しく思っていた。
ひょんなことから今年6月、その「放送局」で、塩尻難聴者会の会長として、番組担当者から取材を受ける機会があった。
奥の部屋はたくさんの珍しい機材が並んだ立派なスタジオとなっていた。
「サラダトーク」と冠するその番組が、県のコンクールに出陳されることなどは、もちろん知らなかった。
どうせラジオ番組、聞いている者なんかいるわけがない、そう思って実に気楽に、「自分は身体障害2級の高度難聴であるが要約筆記のおかげで常会長が務まった。その結果、町内に難聴者へのご理解が進み、皆さんとすごく親しくなれてよかった」というような内容をしゃべったことを記憶している。
それがSBCラジオで放送されたらしい。難聴者であるからラジオを自分の耳で聴くことはできなかったが、放送内容は担当者からは文字デーダをいただいた。
2008年の初夏の楽しい思い出となった。
「夏が来れば思い出しましょう!」
・・・・それでおしまい、のはずだった。
ところがその「サラダトーク」がです。
なんと長野県で優勝し全国大会に出場。読売新聞にも記事が掲載されたという知らせに驚いた。
さらにさらに、後日には全国大会でも優勝との朗報が届けられた。
日本一ですよ日本一。
日本一というのにはそう簡単になれるものではない。
インタビューの際の話の引き出し方や、送られた文字データの文章から、これはかなり腕のたつ編集者だと思ってはいたが、まさか全国大会優勝とは!
おめでとう!
よくがんばったね、サラダトークさん!
率直に言って嬉しかった。
難聴者と要約筆記のことが少しでも話題となり、ご理解をいただくキッカケになるのなら、こんな嬉しいことはない。
2008年10月16日 Posted by 六万石