やはり「虐待」
「
これは虐待ではないか」(8/1)の記事について、
その後、複数名の仲間とのメールのやりとりで、
「虐待」という言葉が、少し強すぎたのではないか、
というご心配をいただいた。
「虐待」という言葉そのものは、私が初めて使った言葉ではありません。
3年ほど前に全難聴の
新谷(しんたに)さん(=現理事長)が使った言葉で、、
「国会中継に字幕をつけずして難聴者に我慢を強要するのは虐待だ」
と、述べておられた。
(アイドラゴンでやっていました)
私は手話を一生懸命やってきて、
もう7年にもなろうとするんです。
聾者との交流などで、ちょっとだけ出来るようになっては、います。
しかし、ナチュラルスピードで翻訳される手話を
苦労もなく読み取れるだけの力はついていない。
お役人が、ちょっと、ろう者大会などで、
「みなさんこんにちは」
とかやって見せて、
「ほら、私にも手話ができちゃった!」
と、・・・
それはそれで大いに意義のあることであり、敬服もするが、
それをもって、手話が簡単だと、
誰にもマスターできるはずだとの錯覚は困ります。
長野県知事選の政見放送。
ろう者用に作成した手話つきDVDを難聴者にそのまま与えて、
「さあ、どうぞ」
という選管の神経がわからない。
「虐待」という言葉は、決してオーバーではない。
「傷口に塩をすり込まれた」
と表現しても、過ぎることはないだろう。