岡谷南青春のカルチェラタン(2)
岡谷南青春のカルチェラタン(1) へのコメント
ホームルーム日誌。なんと懐かしい。
日直になると黒板消しをやったり、
先生が来るのが遅いと呼びに行ったり、
ずっと来ない方がいいので呼びに行かない日直が多かったけれど。
それで最後に日誌を書く。授業中に書く日直もいたりして。
イラストは2C担任ROKU先生?
楽しいクラスだったのですね。
Posted by コリ at 2017年02月07日
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生徒というのは、意外と鋭く、教師の特徴を見破り、マンガにするものですね。
例のゼッケンは、岡谷南高校伝統の、
岡谷~天竜峡(96キロ)の
競歩大会で用いられたものです。
岡谷南高校は、当時は男子校で、教師も全員男性で、
女性といえば、保健室、図書館司書、理科実習助手、事務職員のみ。
隣接の
岡谷東高校が女子高で、
生徒らは普段から相当に意識していた。
競歩大会は、土曜日の
午後3時出発。
夜を徹して歩き
天竜峡の最終関門時間は、翌日の
午後3時。
クラス対抗で、関門ごとに配点された。
飯田市を通過するのが日曜日の午前中ということで、
飯田風越高校(飯田市の女子高校)の生徒会が、関門で、
お菓子やお茶をふるまって、
ガンバッテ! と、声援を送った。
競歩大会は昭和32年に始まり、隔年に行われていたが、
行程道路の交通事情の悪化とか、
もし大きな事故が起こったとき学校の責任はどうなるのか、
というような不安があり、昭和46年の大会を最後に中止された。
(ちなみに、その昭和46年大会の優勝は
2C。)
岡谷南高校五十年史 より引用。
2017.2.9 (THU)
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この記事へのコメント
ニシダ大凄いですね。
そう言えば、僕が在籍していた高校でもマラソン大会と称して
5Km・10Km・15Kmと三コースに分かれて走らさせられました。
(注:走ったのではなく走らされたのでした・笑)
山岳部は当然のように15Kmコースに参加。
しかも、
歴代部長の厳命で各自登山装備5Kg以上をザックに詰めて走るという
誠に素晴らしい伝統ある山岳部でした。
ゴールに戻ってきた山岳部員は、
ことごとくヨレヨレのボロボロになり、
山岳部内ではマラソン大会とは呼ばずに
「敗残兵の行進」と言っていました(爆笑)
このマラソン大会も
同じ理由で行われなくなりました。
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ROKU
そういえば、クラスのゼッケンを胸につけながら、
剣道部の旗をかついでいる奴とか、
卓球部のパンツをはいて走ってくるやつとか、いましたね。
部旗なんて、あんな重い物を担いで、不利だし、
卓球部のパンツなど、長距離用にできていないので、股が擦れるとか・・・、
ボロボロに、ヨレヨレになりながら、
♪ 山男にゃ惚おれえるなよ~
とか、
不利を承知の、「帰属意識」の誇示でしょうかね。
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