松田直樹選手の死を惜しむ
【マイアミの奇跡】マイアミの奇跡1996年7月22日、マイアミ・オレンジボウルで行われたアトランタオリンピック・男子サッカーのグループリーグD組第1戦で、日本代表がブラジル代表を1-0で破った試合を指す。
ロベルト・カルロス、ジュニーニョ・パウリスタ、ロナウドに加え、オーバーエイジ枠でベベット、アウダイール、リバウドらスター選手を擁するブラジルに対し、粘り強い守備でブラジルの猛攻に耐えて1-0で競り勝った。ブラジルの放ったシュートは28本、対する日本はわずか4本だった。(
その時のデフェンダーが松田直樹選手だった。
日本を代表するディフェンダー松田直樹選手が、
J2よりも格下の松本山雅にきてくれた。
迎えた菅谷松本市長は、何と言ったか。
「現役として、(将来の)指導者として、これ以上の選手はない。
松本山雅は強くなりますよ。
長野パルセイロなんて問題じゃない。
だいたいに長野は空気がよどんでいる。
冠着をこえて松本平に入ってくると、
カラリとした澄んだ空気になる。
山雅ですよ!」
「だいたいに長野は・・」以下の言葉、
松本市長がこんなこと言ってだいじょうぶかなあ。
またぞろ、昔からある
「松本・長野の大戦争」
が始まったかとも思った。
長野市の鷲沢市長が、「まあ、お互いにベストを尽くして、J2昇格をめざしましょう」
というような、大人の対応をしておさまったのは記憶に新しい。
松田選手の「
イズム」が、ようやくチームに浸透してきて山雅は、
このところ連勝や負けない試合が多くなっていた。
さあ、これから! という時だったのに。
34歳の旅立ちは、あまりに早すぎた。
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2011/08/05