2014年02月05日

佐村河内守

全ての聴力を失う絶望を経て、
真実の音=「闇の音」を探求する精神の旅へ!
「絶対音感」を頼りに《交響曲 第1番》 を完成!・・・・

・・・すごいなあ、と思っていた。
絶対音感という用語がよくわからないが、
きっと、
「聴こえなくて聴こえる」
のだろう、
天才とはそういうものだろう、

まあ、いってみれば、視力がなくても目が見える
座頭市
ってもんだなあ、、
ぐらいに考えていたが・・・。

実はゴーストライターが存在したという報道。
残念である。

彼は幼少の頃、徹底的に音楽をたたき込まれたという。
聴力を失っても、脳に残っている音を頼りに、
果敢に音楽に挑戦した。

それだけで、えらいじゃないですか。

ただ、周りの者が、勝手に伝説的ストーリーを創ってしまい、
彼も、いつの間にかそれに乗っかって、
降りるに降りれなくなった、
というところかな。

翻って、難聴者も
「耳では聴こえないが心で聴こえる」
と言うような言い方は、
止めた方がよいと思う。

※この項、もう少し事態の推移を見なくては、はっきりしたことは書けません。
あくまで現時点における感想です。




Posted by 六万石 at 18:01 │佐村河内
この記事へのコメント
音楽家の世界の事はよく分かりませんが

美術の世界では
委託制作・発注制作(=委託芸術・発注芸術)はよく行われています。

時には作家が描いた簡単なスケッチだけを頼りに
我々のようなモノが実制作(本作品)をする場合もあります。
そのような発注芸術の時には僕の名前は一切表には出ませんし
また出して欲しいと思って事もないのです。

これは今に始まった事ではなく、
中世の頃から「分業」で美術が作られてきたからだと思えるのですが

音楽の世界に置いても、源作曲家と編曲者との取り決めが如何だったのか?
また、どのような割合で作曲に関わったのか?
なんだかそんな仲間内で解決する案件だと僕は思っており、
曲想を考えた作曲者をバッシングするのは如何なモノかと新聞記事を読みました。

このことについては僕のブログでも少し展開するつもりです
Posted by 西 at 2014年02月06日 08:03