「感動ポルノ」

六万石

2016年08月29日 18:37

≪つぶやき万華鏡≫

  昨日(8月28日)、日テレの「24時間テレビ」
  の裏番組として放映されたNHK Eテレ
  「バリバラ」(19時00分~30分)が話題となっている。
  放映の時間帯が、ちょうど手話番組の前だったので、私も見ていた。

バリバラ」では、「愛は地球を救う」24時間テレビに対し、
ああいうのは、感動ポルノである
と、異を唱えていた。
J-Castニュース→http://www.j-cast.com/2016/08/28276254.html

感動ポルノ」という用語は、ステラ・ヤング氏の講演の中で用いられた用語である。
講演内容→http://logmi.jp/34434

「ポルノ」という語が、ちょっとドキリとする用語ではある。、
普通は「性の商品化」といった意味で用いられる。
この「感動ポルノ」と言う用語では、性的な意味はあまり含まれず、
単に、「商品化」「売り物」というぐらいの意味だろうと私は理解している。

番組の最後の方で、障がいの当事者が、
「私たち障がい者は普通に生きている。それを感動の具にしてもらいたくはない」
という趣旨で述べていたが、確かにそのとおりだと思う。

私自身、難聴体験(談)など、そのような趣旨で行ってきた。
しかし最近、この言い方は、ちょっと言葉不足かもしれないと考えております。

普通の人が普通にできることが、私たちは普通にできない。
だから、ちょっと頑張っている部分もあることは事実で、
そのことに対して
「感動してはいけない」
と言っているわけではない。

ただ、「お気の毒に」とい言葉だけは、言ってほしくない。
その言葉は、差別である。

ましてや、障害を具として勝手に感動のストーリーをつくり、
それを「売り物」にするというようなことは、
最近では、佐村河内の件にもあったように、
障害に対する冒涜以外のなにものでもない。

追記 私は24時間テレビには全然興味がありません。
    むしろ、昨日は。「笑点」がライブとなってしまい、
    だから字幕が追いつかず、トンチンカン。
    だから、24時間テレビは、(私にとっては)「ハタ迷惑」。

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2018.8.29 (MON)

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≪この記事へのコメント≫

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くまははさんより

24時間テレビは、少なくともマラソンが始まってからは見たことがありません。
だから内容を正確には知らず、批判のしようもないのですが、
構成はあまり変わっていないように思われます。
視聴率が取れる限り、続くのでしょう。

Posted by くまはは at 2016年08月30日 09:43
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コリさんより

24時間テレビもバリバラも見ていないのですが、

昨日夕方、テレビをつけたら、
片足を失い、松葉づえを使ってプレイするチームに入っている少年が、
あこがれの本多選手に会う場面(24時間テレビの一部)がありました。

彼にとって神様ともいえる存在と話ができてアドバイスまでもらえたのですから、
その少年には生涯にわたって、励みとなるだろうと思いましたが、
彼が編集されたものをテレビでみたとき、どう思うのだろうか。

また視聴者には、「障害者だから特別」という意識が広がり、
同情、ひいては差別や排除につながる危険性を秘めているのではないかと危惧しました。

よく、「障害者なのに~ができる。すごい。」と聞きます。
「すごい」は感動ではなく、心のどこかで障害者を下にみている気持ちの表れですが、
この心情を利用して視聴率を上げているのがこの番組ではないかと。

障害者への社会の認識、障害者が社会に認められるための壁の厚さ、
障害者の仕事復帰の難しさ等、
障害者をとりまく社会の現実の問題を問うことなくして、このまま進んでいっていいものだろうか。

Posted by コリ at 2016年08月30日 11:38
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旅人さんより

感動ポルノ(笑)
おおいに結構!
障害者差別解消法を理解してもらうという洗脳番組と思えば
なんと言う事もないんではないのかなと思った。

神奈川支援学校の難聴者と視覚障害者の学生が武道館で踊りを披露する
過程は素直に感動したわ!!!

私も毎年、観ているわけではないが
津久井やまゆり園の惨劇の後だから
どうなるやらと思っていたが
たまたまチャンネルを変えたとたんの感動企画には
マラソンさえかすむ企画もんには眼がうるうるする次第でありました。

Posted by 旅人 at 2016年08月30日 12:41

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ニシダツトムのそと・あそび8.31記事より引用

日本テレビ24時間何タラという狂喜乱舞の番組が放映していましたが
その裏でNHK教育が放映されていた「「バリバラ」(19時00分~30分)を見ていた。

バリバラの中で「『愛は地球を救う』24時間テレビに対し、ああいうのは、『感動ポルノ』である」との厳しくも的確なコメントがなされた。

【感動ポルノ】という言葉を知ったのはやはりNHK教育テレビの中でステラ・ヤング氏の講演を聞いていた時であった。
ちょっと衝撃的な言葉だと思ったが、なるほど~と痛く感心した言葉だと感じた事を記憶している。


テレビという媒体は、特にドラマに置いて「難病物」や「障害物」をドラマ化しているが、
それらの内容の多くは「お涙頂戴」の安っぽい脚本である事が多い。
何故安っぽい脚本が大手を振ってドラマ化されるのかと言えば、
ただ単に一定の「数字」(視聴率)が取れると言うだけの事で、
ドラマの内容が障害があるにもかかわらず「健気に頑張っている」事を
ことさら大袈裟に取り扱えば扱うほど「数字」が上がるという事に過ぎないと僕は何時も苦々しく感じてならないのです(僕は相変わらずへそ曲がりの偏屈人間ですね)。

だからといって「難病物や障害物」を無視したり邪険にする訳には行かない事は、
ドラマの放映後、難病患者や障碍者に対する見方が変わったり、
支援する層が増えたりする事も事実なので、必ずしも全否定は出来ないとも思っています。

ただ、「健気に頑張る」ことがあたかも特別な事として作りすぎていないかと感じてしまうのです。

つまり、難病患者であれ障がい者であれ今生きている事そのものが「頑張っている」ことを強要されているのですが
この強要されている生活は、実は極々普通の事なのです。

ただ生きている事そのものに「頑張」らざるを得ない社会状況そのものが実は問題なのであって、
社会状況が難病患者や障碍者に「頑張」らさせているのです。

この社会状況の不備や欠点を的確に指摘するのは、
障がい当事者(難病患者)のみならず、テレビという媒体を使う側にもおおいに考え指摘して然るべきかと思っています。

さて、【感動ポルノ】を僕も意識の根底に持っていないかといえばウソになる。
感動ポルノを利用している事はないだろうか?

進行性感音難聴者なのに「頑張っている奴」。
時折聞こえてくる僕の代名詞かのような紹介をする方がおられる。
その場で「僕はただ極々普通に生きているだけです」といちいちは反論しないのですが、
これが【感動ポルノ】の本質かも知れないとバリバラを見て感じてしまったのです。

リンク先→http://www.number7.jp/bbs/nishiart/
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2016.8.31 (WED)

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