コミの手がかりとしての手話(2)
私が難聴者として手話サークルに参加するのは、
手話通訳とかになるために手話を学ぶためではなくて、
聴こえない者のコミの手がかり
の一つとして手話を学ぶためである。
日本手話とか、
日本語対応手話とか、
そういうことには全然こだわらない。
手話は手話だ。
とにかく教えてもらった通りに覚えるよう努力している。
「難聴者のために手話を教えてあげる」
という仲間(ろう者・聴者)もいる。
ありがたい。
「難聴者のために」と言いながら、
いつの間にか
「そういう手話ではろう者に伝わらないよ」
と仰る。
一度でいいから、
「そういう(速い)手話では難聴者に伝わらないよ」
と、言ってみたいものだ。
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