難聴者の日常
手話と煩悩
六万石
2014年08月13日 06:09
長照寺
(松本短大の北隣り)
難聴者の心理というのは、
かなり自分勝手なところがあって、
たとえば、手話だ。
ちょっとやってみて、
「通じた」
「コミュニケーションができた」
と、本当にうれしくなる。
ナチュラルスピードの手話を見せられて、
ついていくことができないことに気付かされて
あせり
悲しむ。
そういうことは、
別に手話でなくっても、
英語とか、
私にとっては、
卓球とか、
将棋や水泳もそうだ・・・・
煩悩
というものかもしれない。
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