2016年11月08日 19:00
(医療機関で)先生の言葉がよく聞き取れませんでした。73歳(女性) 松本市、
すると先生は私の耳に顔を近づけて、
大声を張り上げて早口でしゃべりました。
あまりに大きな声なので余計に聞きづらく、
しまいには(医師の言葉を)理解しようとする気力もなくなりました。
もっとゆっくりと話してもらえば理解できたと思います
”聞こえないならもっと大きな声で伝えよう”・・・・Posted by <M> at 2012年11月15日
これは一般の健聴者全般に当てはまるんではないかな?
私も小さいころから難聴だったので、同級生をはじめ、
先生や親戚にいたるすべての関係者から同じ体験をもらいました。
つらかったです・・・本当に。
難聴者に対する接し方が間違っているんですが、
「難聴とはどういうものか?」を知る機会がなければ
だれでも同じように考えるはずです。
テレビで、難聴の高齢者にインタビューする際に、2016.11.4 (FRI)
耳元に口を近づけて大声で話しかけている場面が、
しばしば放映されます。
補聴器を装用している難聴者の耳元で大声で怒鳴るのは
大変に危険な行為でもあります。
場合によっては、補聴器で増幅された理不尽な音により、
さらに耳を傷めてしまうこともあります
何より、、難聴者に対する心理的虐待です。
僕は、自分の声を話しながら補聴器を使って聞いている。ニシダツトムノそと。あそび10/26記事)
この事を抜きに話しをすると、
実は、自分の声の音量が分からないし、何を話ししていたかも聴き取れない場合が多く、
自分の声を確認しながら話しするため
ゆっくりとした話し調になっているようです。
一年ほど前、市の社協の一室を借りて活動を行う要約筆記サークルでのこと。Posted by コリ at 2016年11月02日 09:20
社協の職員が新人を伴って様子を見に来たことがあります。
まず
① 普通に話している。
② 聞こえないのに手話を使っていない
ことに驚いたようです。
難聴の迷信としてまとめてくださったことも含めて、
一時間ほど話した後、
「知らなかったことばかりです。戻ったら職員に伝えます。」
と言っていました。
社協の新人職員の場合、よくあることですね。2016.11.4
私がパソコン要約筆記を利用して会議に出席し持論を述べていると、、
なにか、不思議そうなお顔で、(私の方を)じっと見ていらっしゃる
「耳の聞こえない人は手話ができる」という迷信は、たしかに、困ったもんだが、
難聴者の日常では、あまり実害はない。
なぜなら、健聴者から手話で話しかけられる、ということが、
日常では、皆無であるからだ。
むしろ実害があるのは、
「耳の聞こえない人は口話(読話)ができる」、
という迷信である。
先日、公民館活動で、ちょっとインテリっぽい女性、
一時代前の「婦人」という表現がぴったりの女性が、
いそいそと近づいてきて、
「耳が不自由でも、口の形でわかりますよね! ね!」
と、えらくはしゃいだ様子で話しかけてきた。
「まあ、そういうこともありますね」
と回答したら、大変に喜んで、
握手まで求めてきた。(どうなっているの、これ?)
たしかにその時の雰囲気で、読み取れてしまうことはある。
難聴者の中でも「口話ができる」と言っている者もいる。
、
しかし、それは、短いやり取りだから可能であって、
それでコミュニケーションが、すべてできるなどということはありえない。
なぜ、こんな迷信を信じている健聴者が多いのか。
要するに、健聴者は
「書くことが面倒だ」
ってことよ。
面倒なもんだから、
耳元で怒鳴れば伝わると思ったり
口の形がよみとれるはずだと勝手に信じ込んでいる。
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なお、「口話」という用語は、ろう者の「口話教育」というような場合に用いられる。
難聴者の場合には「読話」という用語がより適切であろうと思っている。
『大辞林』には
【読話(どくわ)】 相手の口の動きや表情から音声言語を読み取り理解すること。
聴覚障害者のコミュニケーション方法の一。
【口話(こうわ)】聴覚障害者が,相手の音声言語を読話によって理解し,
自らも発話により音声言語を用いて意思伝達を行うこと。
と、書いてあります。
難聴の当事者として”迷信”。Posted by ノリリン at 2013年04月26日
1、難聴者は健聴者のお荷物になってる
2、難聴者は聞こえないから地域の役割を免除できる
3、聞こえないことを隠したほうが良い(同情されたくない)
4、聞こえるふりしても良い(理解してないのに分かったと言う)
5、難聴者は障害者だから、助けてもらう立場。誰かを助けることはしない
6、自分は聞こえるから障害者ではない、と突っ張ってるが
いつの間にか居場所を求めて、寄って来ている
ROKUさんの迷信が健聴者から見た迷信ならば私のは
当事者の思い込み?みたいな事ですね。
誰かがいつか助けてくれるんじゃないかと誰も自分から行動しないのが、
地元の難聴者の態度です。他にもあるだろうけど、
この6点が実際に地元の人たちを見ていてまた、過去の自分を振り返って思ったことです。
6点目は最近、手話サークルに来た難聴者のことです。
前に【私はまだ聞こえるし手話なんて必要ない】と私に言ってサークルを去って行ったのに、4月からまた来たのです。何事も無かったように。
このコメントは3年半ほど前にいただいたものですが、あれから年月が過ぎて、2016.11.7 (MON)
いま、読み返してみますと、「難聴者の甘え」を指摘した、鋭いコメントであり、
思い当ることが多々あります。
難聴者は、情報が与えられないから動けない。
情報さえ与えられれば地域で、健聴者並に働くこともできると、私は
体験的に実感しております。
難聴者が要約筆記を利用して地域にデビューすることは、
周りの方々の偏見や誤解を取り除く絶好のチャンスであると思います。
聴覚障害者社会参加支援協会という名称の支援団体があります。
これは、聴覚障害者が自ら社会参加をしようとする際にこそ、支援していただける、、
そういう趣旨であると思います。
難聴は外部からは見えない障害ではありますが、
だからと言って、ずっと隠し通せるものではない。
例えば、大きな災害の場合には、隠していてはどうしようもない。
自分が損するだけだと思います。
そんなことを思いながら、ノリリンさんからのコメントを懐かしく読み返しました。
ロクさま、お久しぶりです。Posted by ノリリン at 2016年11月11日
こうしてこのブログにお邪魔するのも久しぶりです。
久しぶりにお邪魔したらなんと!!私のコメント??
こんなこと書いていたの?って本人がびっくりしております。
あの頃は色んなことに尖ってましたね。
今は少し大人になって?ますから、
もう少し温かい目で見れるようになりました。が・・・・。
今回、地元でパソコン要約筆記勉強会を4回だけのほんのさわりの勉強会を企画し、
その4回を終えたところです。
今回も協力を求めた同障者から
「あなたと私では考え方に温度差がある。あなた一人で頑張ってきたけど何も変わらないじゃないか」
と言われました。
う~ん・・・・・結構傷ついたな・・・・。
どうして自分の生活をもう少し暮らしやすいようにと思わないんだろう?
というのが私の本音です。
まだまだ尖っているんでしょうか・・・。
ノリリンさん初めまして。。Posted by コリ at 2016年11月11日
ノリリンさんのコメント、当事者として、ひとつひとつに思い当ります。
私は手帳を持っていません。
数年前、ニシダさんのところで「障害者だ。」と指摘されても、
長いこと、その意味がわかりませんでした。
数か月前、ロクさんのところにお邪魔して以来、すっかり居ついてしまいました。
ロクさんが私の尖ったコメントにそっと耳を傾けてくださるので甘えながら、修行しています。
悔しい思いや痛い経験の場数を数倍、数十倍も踏んでこられたからこそ、
受け止めていただけるのだと感謝、感謝です
世の中、なにも変わらないように見えても、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
深いところで、少しずつ変わっていく、、
そういう力を信じております。
コリさま。
「間(かん)、髪(はつ)を入れず」
コメントを書き込みいただき、ありがとうございます。
身にあまるお言葉です。
コリさんへ
コリさま、初めまして。山形の難聴者協会に属してますノリリンです。Posted by ノリリン at 2016年11月12日
某寺の寺族(じぞく)をしています。
5年前に左耳に、今年の春に右耳に人工内耳をしました。
寺の仕事が格段しやすくなって(会話が聞こえる)ストレスが減りました。
私も自分が障害者だと受容できるまで相当な時間がかかりました。
両親が障害を隠すように育ててきた結果、
高校に入ってから不登校気味になり、
そこで初めて補聴器の存在を知りました。
補聴器を通して色んな音が聞こえ、
世の中が白黒からカラーに色づいた衝撃は今でも忘れることなく鮮やかに思い出されます。
いじめも経験し、障害を話すと距離を置かれるような経験を何度もしました。
けど、もっと自分の障害を広く知ってもらう事が暮らしやすい社会になるためには必要と思って日々活動してます。
私もロクさんのような健聴者として先生をし、失聴者としても沢山の経験を積んだ方が、
どんな尖った言葉にも温かな目で見てくださることが、言った本人にはどんなに嬉しいことか分かります。
どうぞロクさんの下でどんどん修行を積んでください。
ロク様・・・「深いところで変わっていく」心に刻みます。ありがとうございます。
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ROKU「修行」だなんて、めっそうもない。2016.11.12 (SAT)
私も、西さんをはじめ皆さんと
ご一緒に勉強をさせていただきたいと思っております。