「要約筆記」の黎明期(夜明け前)

六万石

2017年04月21日 23:01

追記

昭和48年(1973年)、私は休職をして、東京で大学をやり直しておりました。

そして、当時、大流行していた「中国針」による難聴治療を受けるため、
週一回、大塚の治療院に通っておりました。

「中国針が難聴に有効」という記事が、赤旗日曜版に出て、テレビでも紹介され、
医者から見捨てられた者が一縷の希を持ったのです。、

その治療院に通っていた患者の集まりが池袋で、ときどき集会を持ち、
そこでは、OHPが用いられておりました

聞こえる方が交代で、書いてくださっていた。

ただし、「要約筆記」という用語が使われていた記憶はありません。
勿論、全難聴が結成される以前です。

その後、私は信州へ戻りましたので、「要約筆記」という用語が
どういう経過で確定したのかは知りません。


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