「要約筆記」の黎明期(夜明け前)
追記
昭和48年(1973年)、私は休職をして、東京で大学をやり直しておりました。
そして、当時、大流行していた「中国針」による難聴治療を受けるため、
週一回、大塚の治療院に通っておりました。
「中国針が難聴に有効」という記事が、赤旗日曜版に出て、テレビでも紹介され、
医者から見捨てられた者が一縷の希を持ったのです。、
その治療院に通っていた患者の集まりが池袋で、ときどき集会を持ち、
そこでは、OHPが用いられておりました。
聞こえる方が交代で、書いてくださっていた。
ただし、「要約筆記」という用語が使われていた記憶はありません。
勿論、全難聴が結成される以前です。
その後、私は信州へ戻りましたので、「要約筆記」という用語が
どういう経過で確定したのかは知りません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
関連記事