「要約筆記通訳者」では何故ダメなの?

六万石

2017年04月24日 16:18

≪ニシダさんの掲示板から≫

 何故要約筆記が「要約筆記通訳」と言われないのか
 

甚だ疑問でならない。

手話通訳がある。
では、
要約筆記が要約筆記通訳であっても良いのではないか?
何か問題があるのだろうか?

要約筆記は通訳であると各セクションの機関誌を始め
多くの関連文章にも明言してある。

要約筆記を要約筆記通訳としないのは
難聴者差別に繋がる本質的な問題を孕んでいるのは明らかである。

では、誰が要約筆記通訳と公文書に明記する事を阻んだのか?
洩れ伝わってくる話しでは、
全ろう協の強硬な反対意見の前に、
全難協がおれた(妥協)という事らしい・・・真偽のほどは知らないが。

「ニシダツトムのそと。あそび」から引用
http://www.number7.jp/bbs/nishiart/
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ROKU

全体の流れとして、全難聴と全要研による要約筆記の定義
「要約筆記は聴覚障害者のためのコミュニケーション方法のひとつであって、話し手の内容をつかんでそれを筆記して聴覚障害者に伝達するものです。」
上記の定義は、少しもブレることなく、一貫して正しい
と理解しております。

「要約筆記者」という用語は、もともと全難聴並びに全要研が用いてきた用語であり、、
その限りにおいては、(この用語が)「差別である」と断定しきれない面があると思います。

しかし、一人の要約筆記利用者としては、「手話通訳者」と並列的に、
「要約筆記通訳者」とするのが、、
世の中一般に向けて、ごく、当たり前のありようだと思ってきました。

でも、私はそのことを、我慢して言わなかった。

ところが、2016年度の全難聴の文書の中に
「要約筆記通訳者」という用語が使われていたという。

ふと、本音が漏れたのかな?
本音が漏れたとすれば、私は共感している。

でも、その後、取り消されたという。

大変驚いています。

私自身は2015年度をもって、長野難聴を引退しておりますので、
その後の様子がわからない。

要約筆記のこと、みんな、いろいろ言いたいことがあるのに、
我慢して、
言わないでいらっしゃるのかな。

もし、そうだとすれば、
そのことが、一番の問題だ。
                                    2017.4.24
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訂正とお詫び

上掲の記事で「2016年度」は、正しくは「H16」。
編集者の読み間違いでした。
(投稿者のコリさんからご指摘をうけました。)
訂正してお詫びいたします。。
だだし、これは、当記事の論の本筋に大きくかかわることではないように思いますので、
記事そのものは削除をいたしません。

で、H16ならば、
    >では、誰が要約筆記通訳と公文書に明記する事を阻んだのか?
     洩れ伝わってくる話しでは、
     全ろう協の強硬な反対意見の前に、
     全難協がおれた(妥協)という事らしい・・・真偽のほどは知らないが。
と、ニシダさんの仰る通りですね。、

なお、コリさんからのメールで、
    >地域でも話が出ましたが「要約筆記通訳」と、
      「通訳」と言い続けることが大切!
とありました。
(ROKU)
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追記 2011.11.4

昨日、佐久の野沢北高校の「卒業50周年記念大会(昭和42年3月卒業学年同窓会)に、
旧職員として招かれ、行ってきました。

100名以上の出席者に、旧職員としてのスピーチ。
そのスピーチに入る前に私は、要約筆記者を紹介した。

「本日は難聴の私のために’筆記通訳’がきています」

「要約筆記者」という用語は、あえて使わなかった。
「手話通訳」なら、どなたも御存じなのだが:、「要約筆記」という用語は、
まだまだ世間に浸透していない。
同窓会の全体の流れ、スピーチの組み立て上のバランスを考慮すれば
ここは、さりげなく、
「筆記通訳」
で、さらりと流していくことが適切であろうと判断したからである。 2017.11.4

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