2016年09月12日
「要約筆記」との出会い
2008.9.30
「私が「要約筆記」に出会ったのは、2004年(平成16年)の秋である。
定年退職後、人生における社会活動への参加はもうおしまいと考えていた。
しかし、地域の常会の役員が順番で回ってきて、
私のところには常会長の大役がくることとなった。
難聴であることを理由にお断りすることもできたのであるが、もしそうすれば私は、
地域の方々から一方的に「保護される」立場となって、
遠慮しながらひっそりと暮らしていかなくてはならなくなる。
あと何年生きるかわからないが、それはとてつもなくさびしく、
みじめな人生の最終場面となってしまう。
でも、もし引き受けるとして、「聞こえない」では地域の代表としてお役に立つことはできないし、
聞こえないことが原因で情報伝達がうまくいかずに、万が一にも
80世帯500人のみなさんが不利益をこうむることがあっては、
それこそ私の存在は「はた迷惑」というものであろう。
どうすればいいのか、私はまったく途方にくれていた。
そういう時、たまたま福祉事務所の窓口で、
手話のほかに要約筆記通訳の派遣事業があるということを教えていただいた。
え? 要約筆記って何のこと?
私はそれまで「要約筆記」のことや、その存在そのものを全く知らなかった。
白馬村で聴力障害を持つ村議さんが活躍しているということは知っていたが、
私は中途失聴・難聴者であり手話ができない。
人生の途中までは確かに聞こえていたわけであるから、
聞こえなくなったからといって、おいそれと手話に移行できるわけではない。
テレビで放映される流暢な手話を見て、これは到底マスターできそうもないと
手話に対して拒絶反応をおこしてしまっていた。
そういうとき、
「手話ができなくても大丈夫。市には要約筆記奉仕員の登録者が40名近くいます」
と福祉事務所の窓口の方からお聞きしたということである。
「要約筆記」って何だろうか。
どの程度にやってもらえるのだろうか。
私は不安であった。
まずは「要約筆記」というものを体験してみようと思い、たまたま
「塩尻情報プラザ」
でのIT講座の受講に際して、その派遣を福祉課へ申し込んだ。
講座の当日、おそるおそる会場へ行ってみるとそこに、
優しそうな女性の方がいらっしゃって、ニコニコと
「要約筆記通訳のSです」
と紙に書いてくださった。
これ知る人ぞ知る塩尻市の「要約筆記のエース」Sさんとは、
神ならぬ身の知るよしもなかった。
IT講座は4日間、計8コマの講座で、その間、Sさんをはじめ要約筆記通訳のみなさんが
入れ替わり立ち代りでお世話してくださった。
表示用のパソコンを目の前に設置してパソコン要約筆記をしてくださる方もいた。
それは見やすく、速かった。
こういうふうにやっていただけるのなら町内会長もやっていけるのではないか、
と確信し、会長の役を引き受ける決意をしたものである。
要約筆記通訳のおかげで私は、会議では常会を代表して意見を述べ、
また、組長会でも司会者として会を進行することもできた。
3月の総会で区長から
「1常会の会長さんは要約筆記ボランティアの方々の援助で優秀な常会長として活躍された」
と、特別発言をいただき、会場から拍手をいただいた。
今では町内80世帯の方々の顔とお名前をしっかりと覚え、
「やあ、こんにちは」
と手を振って」地域のみなさんとともに歩むことができている。
要約筆記通訳のありがたみを、身をもって体験したということである。
2008.9.30
2016.9.12 再掲載
この記事へのコメント
要約筆記通訳の助けがなければ、
聴力の他にも失うものがあったかもしれないけれど、
地域に関われたことで、地域もROKUさんの力を受け取ることができて、
区長さんからも地域のみなさんからも感謝され、
ほんとうによかったですね。
先日、難聴者4人と食事した時、「差別解消法」の話になり、「差別とは何」まで行ったのですが、
お互いの持っているボードとつたない手話(特に私の)では、
十分に思いを知ることも、伝えることもできませんでした。(「手落ち」と「補う」使いました。)
要約筆記通訳がホワイトボードに書いてくれたらな~と思いました。
要約筆記の方々は難聴者の気持ちもよくわかってくれて、とても優しいです。
Posted by コリ at 2016年09月12日 17:30
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(編註) カット写真は、えんぱーくの鉢植えを撮らせていただいております。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ROKU
コメンとありがとうございました。
懐かしい記事なんですが、
当ブログの原点であり、
私の原点です。
2016.9.12
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「私が「要約筆記」に出会ったのは、2004年(平成16年)の秋である。
定年退職後、人生における社会活動への参加はもうおしまいと考えていた。
しかし、地域の常会の役員が順番で回ってきて、
私のところには常会長の大役がくることとなった。
難聴であることを理由にお断りすることもできたのであるが、もしそうすれば私は、
地域の方々から一方的に「保護される」立場となって、
遠慮しながらひっそりと暮らしていかなくてはならなくなる。
あと何年生きるかわからないが、それはとてつもなくさびしく、
みじめな人生の最終場面となってしまう。
でも、もし引き受けるとして、「聞こえない」では地域の代表としてお役に立つことはできないし、
聞こえないことが原因で情報伝達がうまくいかずに、万が一にも
80世帯500人のみなさんが不利益をこうむることがあっては、
それこそ私の存在は「はた迷惑」というものであろう。
どうすればいいのか、私はまったく途方にくれていた。
そういう時、たまたま福祉事務所の窓口で、
手話のほかに要約筆記通訳の派遣事業があるということを教えていただいた。
え? 要約筆記って何のこと?
私はそれまで「要約筆記」のことや、その存在そのものを全く知らなかった。
白馬村で聴力障害を持つ村議さんが活躍しているということは知っていたが、
私は中途失聴・難聴者であり手話ができない。
人生の途中までは確かに聞こえていたわけであるから、
聞こえなくなったからといって、おいそれと手話に移行できるわけではない。
テレビで放映される流暢な手話を見て、これは到底マスターできそうもないと
手話に対して拒絶反応をおこしてしまっていた。
そういうとき、
「手話ができなくても大丈夫。市には要約筆記奉仕員の登録者が40名近くいます」
と福祉事務所の窓口の方からお聞きしたということである。
「要約筆記」って何だろうか。
どの程度にやってもらえるのだろうか。
私は不安であった。
まずは「要約筆記」というものを体験してみようと思い、たまたま
「塩尻情報プラザ」
でのIT講座の受講に際して、その派遣を福祉課へ申し込んだ。
講座の当日、おそるおそる会場へ行ってみるとそこに、
優しそうな女性の方がいらっしゃって、ニコニコと
「要約筆記通訳のSです」
と紙に書いてくださった。
これ知る人ぞ知る塩尻市の「要約筆記のエース」Sさんとは、
神ならぬ身の知るよしもなかった。
IT講座は4日間、計8コマの講座で、その間、Sさんをはじめ要約筆記通訳のみなさんが
入れ替わり立ち代りでお世話してくださった。
表示用のパソコンを目の前に設置してパソコン要約筆記をしてくださる方もいた。
それは見やすく、速かった。
こういうふうにやっていただけるのなら町内会長もやっていけるのではないか、
と確信し、会長の役を引き受ける決意をしたものである。
要約筆記通訳のおかげで私は、会議では常会を代表して意見を述べ、
また、組長会でも司会者として会を進行することもできた。
3月の総会で区長から
「1常会の会長さんは要約筆記ボランティアの方々の援助で優秀な常会長として活躍された」
と、特別発言をいただき、会場から拍手をいただいた。
今では町内80世帯の方々の顔とお名前をしっかりと覚え、
「やあ、こんにちは」
と手を振って」地域のみなさんとともに歩むことができている。
要約筆記通訳のありがたみを、身をもって体験したということである。
2008.9.30
2016.9.12 再掲載
この記事へのコメント
聴力の他にも失うものがあったかもしれないけれど、
地域に関われたことで、地域もROKUさんの力を受け取ることができて、
区長さんからも地域のみなさんからも感謝され、
ほんとうによかったですね。
先日、難聴者4人と食事した時、「差別解消法」の話になり、「差別とは何」まで行ったのですが、
お互いの持っているボードとつたない手話(特に私の)では、
十分に思いを知ることも、伝えることもできませんでした。(「手落ち」と「補う」使いました。)
要約筆記通訳がホワイトボードに書いてくれたらな~と思いました。
要約筆記の方々は難聴者の気持ちもよくわかってくれて、とても優しいです。
Posted by コリ at 2016年09月12日 17:30
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(編註) カット写真は、えんぱーくの鉢植えを撮らせていただいております。
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ROKU
コメンとありがとうございました。
懐かしい記事なんですが、
当ブログの原点であり、
私の原点です。
2016.9.12
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