2010年03月14日
のりピーの手話
2010年3月14日 のりピーの手話
「いただきマンモス」「おめでたマンモス」「うれピー」「たのピー」など、
「のりピー語」で知られるあのタレント。
1988年(昭和63年)全国高校野球選手権での入場行進曲が「夢冒険」であった。
ちなみにこの年」の長野県代表は中村良隆監督に率いられた上田東高校。
街角に貼られていた大会ポスターには、たしか、
「頑張れ球児・のりピーが見ているよ」とあった。(閑話休題)
1955年(平成7年)、日テレのドラマで
「星の金貨」
を主演して、大ブレーク。
その年の紅白には、
「碧いうさぎ」
を、手話を交えて歌った。
その後のなりゆきについては、皆さんご存知の通り、
現在謹慎中である。
本題に入ろう。
「星の金貨」でヒロイン「彩」、
ろうあの少女の役を演じたのりピーの手話の話である。
ドラマに人気が出て、手話がクローズアップされてきたとき、
ろう者からクレームがついた。
「あれは’ろう者’の使っている手話ではない」
と。
私は、当時、ろう者が何ゆえにクレームをつけているのか、
事態がよく飲み込めなかった。
手話についての知識がなかったからである。
現在なら、「なるほど、さもありなん」と理解できる。
確かにろう者の使う手話はスピードが全然違う。
そういう意味でいうなら、
現在難聴者の多くが使う「手話」は「手話」ではなく、
のりピーがドラマで使っていたものに近い。
私達難聴者から見ると、ろう者の手話は全くの外国語である。
とてもマスターできそうもない。
しかし、それはそれでよいのではないかと思う。
手話通訳者は、ろう者を支援するわけだから手話をマスターする必要があろう。
しかし要約筆記者は「のりピーの手話」で十分であり、
難聴者はそのほうが
「うれピー」。
≪追記≫
2017年6月9日
この記事を書いてから8年の歳月が流れ、その間、
私なりに努力して手話の勉強を続けてきました。。
しかし、いくら勉強しても、聾者の手話をマスターできない。
結局は、上掲の記事に集約されるような状態が続いている。
私は日本語で発想し声を出してしゃべる。
その際に手話単語を加えていく。
いわゆる「日本語対応手話」である。
この8年間の経験で、わかったことは、
日本語対応手話でも聾者に、なからなから伝わる。
ということだ。
私たちは苦労して手話を学ぶ。
ろう者も(苦労して)日本語対応手話に応じてくれているのだろう。
それでよいのではないか。
(註)「のりピー手話」というネーミングは、私の造語です。)
2017/6/9
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追記 2019.11.25
「のりピー手話」の記事は、10年ほど前の記事である。
現在も同様に考えては、いる。
しかし、実際に聾者に接してみてわかったことは、
聾者は、少なくとも私に対しては、
「のりぴー手話」で対応する。
私が手話を読み取れないときには、
必死になって「言い換え」の<手話表現>を試みたり、
時には「書いて」くれたりする。
私の要望に対して、一番の理解者は、
実は、聾者だった!
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「いただきマンモス」「おめでたマンモス」「うれピー」「たのピー」など、
「のりピー語」で知られるあのタレント。
1988年(昭和63年)全国高校野球選手権での入場行進曲が「夢冒険」であった。
ちなみにこの年」の長野県代表は中村良隆監督に率いられた上田東高校。
街角に貼られていた大会ポスターには、たしか、
「頑張れ球児・のりピーが見ているよ」とあった。(閑話休題)
1955年(平成7年)、日テレのドラマで
「星の金貨」
を主演して、大ブレーク。
その年の紅白には、
「碧いうさぎ」
を、手話を交えて歌った。
その後のなりゆきについては、皆さんご存知の通り、
現在謹慎中である。
本題に入ろう。
「星の金貨」でヒロイン「彩」、
ろうあの少女の役を演じたのりピーの手話の話である。
ドラマに人気が出て、手話がクローズアップされてきたとき、
ろう者からクレームがついた。
「あれは’ろう者’の使っている手話ではない」
と。
私は、当時、ろう者が何ゆえにクレームをつけているのか、
事態がよく飲み込めなかった。
手話についての知識がなかったからである。
現在なら、「なるほど、さもありなん」と理解できる。
確かにろう者の使う手話はスピードが全然違う。
そういう意味でいうなら、
現在難聴者の多くが使う「手話」は「手話」ではなく、
のりピーがドラマで使っていたものに近い。
私達難聴者から見ると、ろう者の手話は全くの外国語である。
とてもマスターできそうもない。
しかし、それはそれでよいのではないかと思う。
手話通訳者は、ろう者を支援するわけだから手話をマスターする必要があろう。
しかし要約筆記者は「のりピーの手話」で十分であり、
難聴者はそのほうが
「うれピー」。
≪追記≫
2017年6月9日
この記事を書いてから8年の歳月が流れ、その間、
私なりに努力して手話の勉強を続けてきました。。
しかし、いくら勉強しても、聾者の手話をマスターできない。
結局は、上掲の記事に集約されるような状態が続いている。
私は日本語で発想し声を出してしゃべる。
その際に手話単語を加えていく。
いわゆる「日本語対応手話」である。
この8年間の経験で、わかったことは、
日本語対応手話でも聾者に、なからなから伝わる。
ということだ。
私たちは苦労して手話を学ぶ。
ろう者も(苦労して)日本語対応手話に応じてくれているのだろう。
それでよいのではないか。
(註)「のりピー手話」というネーミングは、私の造語です。)
2017/6/9
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追記 2019.11.25
「のりピー手話」の記事は、10年ほど前の記事である。
現在も同様に考えては、いる。
しかし、実際に聾者に接してみてわかったことは、
聾者は、少なくとも私に対しては、
「のりぴー手話」で対応する。
私が手話を読み取れないときには、
必死になって「言い換え」の<手話表現>を試みたり、
時には「書いて」くれたりする。
私の要望に対して、一番の理解者は、
実は、聾者だった!
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2010年05月30日
手話・あれこれ
手話・あれこれ(1)
難聴者にとって、手話ををマスターすることは至難の技である。
手話サークルなどで勉強すればよいのではあるが、
説明が聞こえないために、何をやっているのかわからない。
サークルでは見かねて内容を書いて渡して下さるが、
そうするとこんどは、その方の勉強が邪魔されることになり、
難聴者はどうしても遠慮がちになる。
ましてや高齢者は会場に出かける手段や健康に恵まれていなければ、
なかなかサークルに出かけようという気が起こらないものだ。
その点、NHKの手話講座は高齢の難聴者にとって
確実に手話の勉強ができる機会である。
その手話講座「みんなの手話」も健聴者を対象とした番組であるから、
かつては字幕がつかなかった。だから説明が理解できなかった。
今ではかなり工夫さて、分かりやすくなっている。
「みんなの手話」とは別にNHKでは5分番組で
「ワンポイント手話」という番組がある。
日曜日、「みんなの手話」の時間のあとに続く。
短い時間に制約されるせいか、番組自体が「せかせか」した感じで余裕がない。
「みなさんこんにちは、小林順子です」で始まるが、
その「小林順子」の手話が難聴者にとっては速すぎる。
そして、「難聴者のよく使う表現を学びましょう」と言っているのだが、
初心者は、やはり、ついていけない。
「みんなの手話」の冒頭「みなさんこんちは。今井絵里子、エリーです」
のほうが、かえってゆっくりしている。
昨年度の「はやし・や・しょう・ぞーうデス」のほうがもっとよかった。
でも昨年度の場合、正蔵のあとに続く手話の先生の
「小椋英子です・わたくしは・・・」の手話がついていけなかった。
ろう者の用いている手話を広めよう、
ろう者を支援しよう、
というコンセプトだから、
当たり前といえば当たり前。
繰り返すが、
難聴者にとって、手話ををマスターすることは至難の技である。
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難聴者にとって、手話ををマスターすることは至難の技である。
手話サークルなどで勉強すればよいのではあるが、
説明が聞こえないために、何をやっているのかわからない。
サークルでは見かねて内容を書いて渡して下さるが、
そうするとこんどは、その方の勉強が邪魔されることになり、
難聴者はどうしても遠慮がちになる。
ましてや高齢者は会場に出かける手段や健康に恵まれていなければ、
なかなかサークルに出かけようという気が起こらないものだ。
その点、NHKの手話講座は高齢の難聴者にとって
確実に手話の勉強ができる機会である。
その手話講座「みんなの手話」も健聴者を対象とした番組であるから、
かつては字幕がつかなかった。だから説明が理解できなかった。
今ではかなり工夫さて、分かりやすくなっている。
「みんなの手話」とは別にNHKでは5分番組で
「ワンポイント手話」という番組がある。
日曜日、「みんなの手話」の時間のあとに続く。
短い時間に制約されるせいか、番組自体が「せかせか」した感じで余裕がない。
「みなさんこんにちは、小林順子です」で始まるが、
その「小林順子」の手話が難聴者にとっては速すぎる。
そして、「難聴者のよく使う表現を学びましょう」と言っているのだが、
初心者は、やはり、ついていけない。
「みんなの手話」の冒頭「みなさんこんちは。今井絵里子、エリーです」
のほうが、かえってゆっくりしている。
昨年度の「はやし・や・しょう・ぞーうデス」のほうがもっとよかった。
でも昨年度の場合、正蔵のあとに続く手話の先生の
「小椋英子です・わたくしは・・・」の手話がついていけなかった。
ろう者の用いている手話を広めよう、
ろう者を支援しよう、
というコンセプトだから、
当たり前といえば当たり前。
繰り返すが、
難聴者にとって、手話ををマスターすることは至難の技である。
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2010年05月31日
手話あれこれ(2)
手話・あれこれ(2)
難聴者が手話を学ぶ目的は健聴者とは異なる。
私達は手話通訳になるために手話を学ぶのではない。
そもそも聞こえないものが「通訳」できるはずもない。
難聴者が手話を学ぶ目的は、第一には難聴者同士で、
ちょっとした会話が楽しめればよいのである。
この場合、「たどたどしくてもよい」のではなく、
「たどたどしいのがよい」。
第2に、手話のできる健聴者とのコミの手段として大切だ。
健聴者の方が手話で話しかけてきたときに、
その手話が読み取れることが大切だ。
相手は聞こえるわけだから、
こちらからは普通に音声で返せばいいわけである。
では、「読み取り」だけできればいいのかということになるが、
手話の難しさは「読み取り」にあり、
その読み取りができるようになる」ためには、
自分も手を使う練習をしなければならない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追記 2017.11.1
手話サークルに参加して、
サークル員の手話が、なから読み取れて、
お隣の席の聾者とも、なからなから意志の疎通ができて、
少し自信を持ち、
意気揚揚と帰宅するが、
その自信を木端微塵に打ち破られるのが
「手話ニュース」と、「みんなの手話」。
「手話ニュース」は、聾者を対象とした番組だから
見ても分からないのは仕方ないが、
「みんなの手話」は、文法に拘りすぎではないかと思う。
難聴者向けの「ワンポイント手話」は、
最近はよくわかるようになった。
2017/11/1
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難聴者が手話を学ぶ目的は健聴者とは異なる。
私達は手話通訳になるために手話を学ぶのではない。
そもそも聞こえないものが「通訳」できるはずもない。
難聴者が手話を学ぶ目的は、第一には難聴者同士で、
ちょっとした会話が楽しめればよいのである。
この場合、「たどたどしくてもよい」のではなく、
「たどたどしいのがよい」。
第2に、手話のできる健聴者とのコミの手段として大切だ。
健聴者の方が手話で話しかけてきたときに、
その手話が読み取れることが大切だ。
相手は聞こえるわけだから、
こちらからは普通に音声で返せばいいわけである。
では、「読み取り」だけできればいいのかということになるが、
手話の難しさは「読み取り」にあり、
その読み取りができるようになる」ためには、
自分も手を使う練習をしなければならない。
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追記 2017.11.1
手話サークルに参加して、
サークル員の手話が、なから読み取れて、
お隣の席の聾者とも、なからなから意志の疎通ができて、
少し自信を持ち、
意気揚揚と帰宅するが、
その自信を木端微塵に打ち破られるのが
「手話ニュース」と、「みんなの手話」。
「手話ニュース」は、聾者を対象とした番組だから
見ても分からないのは仕方ないが、
「みんなの手話」は、文法に拘りすぎではないかと思う。
難聴者向けの「ワンポイント手話」は、
最近はよくわかるようになった。
2017/11/1
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2010年06月01日
手話あれこれ(3)
手話・あれこれ(3)
家庭のなかで手話を使いたい。
しかし高齢の女房に対して、
「これから手話を覚えて欲しい」
などと要求することはできない。
「そして大きな動作をつけてほしい」とだけを要求している。
女房は手話は何にも知らないし、
手話を覚えようともしてくれないのであるが、不思議なことに、
自分勝手の[大きな動作(身振り手振り)」が手話単語に近いことがある。
「食べる」
「お掃除」
「おふろ」
「天気がよい」
などなど、ほとんど手話単語と同じといってよい。
「あ、その動作、手話単語とおんなじだ。すごいね」などと褒めて、
なんとか相手を手話の世界に引きずり込もうと試みている。
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家庭のなかで手話を使いたい。
しかし高齢の女房に対して、
「これから手話を覚えて欲しい」
などと要求することはできない。
「そして大きな動作をつけてほしい」とだけを要求している。
女房は手話は何にも知らないし、
手話を覚えようともしてくれないのであるが、不思議なことに、
自分勝手の[大きな動作(身振り手振り)」が手話単語に近いことがある。
「食べる」
「お掃除」
「おふろ」
「天気がよい」
などなど、ほとんど手話単語と同じといってよい。
「あ、その動作、手話単語とおんなじだ。すごいね」などと褒めて、
なんとか相手を手話の世界に引きずり込もうと試みている。
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