2013年04月25日

難聴七つの迷信(0)

難聴にかかわる七つの迷信  
1.耳の聞こえない人は手話ができる。    
2.耳の聞こえない人は「口話」ができる。 
3.補聴器を装用すると、聞こえるはずだ。 
4.人工内耳を装用すると健聴者なみに生活できる。
5.耳元で大声で話すと聞こえるはずだ。
6.家族が付き添えば情報保障は大丈夫。    
7.耳の聞こえない人はかわいそう。

塩尻市の要約筆記入門講座で、難聴の当事者として参加するにあたり、まとめてみたい。
詳論は明日から掲載予定です。
関連して「こんなこともある」と気付いた方は、是非情報をおよせください。  


Posted by 六万石 at 21:42難聴・七つの迷信

2013年04月27日

難聴・七つの迷信(1)

難聴・七つの迷信(1)

迷信1:耳の聞こえない人は手話ができる

中途失聴・難聴者にも、コミュニケーションの補助手段の一つとして手話を用いたり、手話で仲間と交流が出来たりする者もいます。そのような場合、手話は楽しい。便利である。しかし、手話を母語としない者が、ろう者なみの手話を獲得することは至難の業で、常会(町内会)の会議などの重要な社会参加の場面で、手話通訳を介して手話を用いることが出来る者は、ごく希です。

平成13年度厚生労働省身体障害者実態調査によると、現在、身体障害者手帳の交付を受けている聴覚障害者は30万5000人。そのうち、コミュニケーション手段として手話を第一言語としている者(いわゆる「ろう者})は4万7000人。全体の15.4%となっています。

これは、あくまで身体障害者手帳の交付を受けている者の統計であり、身体障害者としての認定を受けていなくても、実際に生活をしていくうえで耳が聞こえづらく不便を感じている者は、600万人~800万人と推定されています。

そして、そのほとんどが手話ができません。


  


Posted by 六万石 at 03:21難聴・七つの迷信

2013年04月27日

「七つの迷信」へのコメントから

ROKUさま、お久しぶりです。山形も今桜満開です。
さて、難聴者の迷信。当事者として。
1、難聴者は健聴者のお荷物になってる
2、難聴者は聞こえないから地域の役割を免除できる
3、聞こえないことを隠したほうが良い(同情されたくない)
4、聞こえるふりしても良い(理解してないのに分かったと言う)
5、難聴者は障害者だから、助けてもらう立場。誰かを助けることはしない
6、自分は聞こえるから障害者ではない、と突っ張ってるがいつの間にか居場所を求めて、寄って来ている
ROKUさんの迷信が健聴者から見た迷信ならば私のは当事者の思い込み?みたいな事ですね。
誰かがいつか助けてくれるんじゃないかと誰も自分から行動しないのが、地元の難聴者の態度です。他にもあるだろうけど、この6点が実際に地元の人たちを見ていてまた、過去の自分を振り返って思ったことです。6点目は最近、手話サークルに来た難聴者のことです。
前に【私はまだ聞こえるし手話なんて必要ない】と私に言ってサークルを去って行ったのに、4月からまた来たのです。何事も無かったように。
Posted by ノリリン at 2013年04月26日

ノリリンさんお久しぶりです。
山形は桜が満開なのですね。信州では松本平では散ってしまいました。
「大町以北山沿い地方」と言われる地域が満開のようです。
さて、難聴者から見た聴者側の迷信ですね。
1から6まで、なるほど、そうだそうだ、思い当るところがあるなあと
共感して読みすすめました。
特に6の「障害者ではない、と突っ張ってるが・・・」にいたっては、
いくらか、「苛立たしさ」さえも感じました。
そういう人って、ほんと、いるんだよね。
コメントの内容について、塩尻要約筆記入門講座の講義内容に
反映させていくつもりです。ありがとうございました。(ROKU)







  


Posted by 六万石 at 15:34難聴・七つの迷信

2013年04月29日

「難聴・七つの迷信(1)・コメント

結構頑張って手話学習を続けています。

よちよち歩きですが日常の挨拶や簡単な会話は出来るようになりました。
ですが、ちょっと心の中の感情や風景の美しさを表現するといった抽象的な内容になると、途端に読み込みが難しくなります。

ろう者と同じように自在に手話が使えるようになろうなんて思ってはいません。
ただ、日本語対応手話で不自由なく自分の考えを言えるようになりたいと思っているだけなのですが、道は遥か遠いです。
Posted by 西 at 2013年04月27日


私も手話を結構頑張っています。西さんと同じで、ろう者と同じように手話が使えるようになろうなんて思ってもいません。また、日常の中で、普通は手話を使う場面はほとんどありません。ただ、ろう者のみなさんは私のつたない手話(のようなもの)を、意外にも喜んでくれていますし、聴者で手話を勉強されている方々も励ましてくださる。

手話が有効であると実感した場面と言えば、松本のA救急病院で看護師が手話を知っていらったという場面。
「待って」とか、「痛いですか?」とか、「注射やります」とか・・・、
実際、とても便利で、入院中(不謹慎な言い方ですが)、「楽しかった!」

手話の相手が聴者の場合、こちらが読み取れさえすればコミュニケーションは成り立つわけで、まずは、聴者の方の使う手話が読み取れるようになりたいというのが、当面の目標です。

手話に関して言いだすと、たくさんのことがありますが、
「要約筆記入門講座」としては、
「耳の聞こえない者は手話ができるはず」、
「聴覚障害者を支援するためには手話が必須だ」
などと思っている聴者の方が多いとすれば、
それは迷信だ!
と、統計をもとに、基礎知識として伝えたいというわけです。

手話の学習は「道ははるか」、というのも西さんと同じで、
すでに「終活」を初めている私ですが、こと、手話に関する限り、只今「脩活」です。

今でしょう!!

(ROKU)  


Posted by 六万石 at 12:47難聴・七つの迷信

2013年04月30日

難聴・七つの迷信(2)

迷信2:耳の聞こえない人は「口話」ができる

この迷信は、ある程度聴覚障害に理解と関心のある方が持つ迷信である。

「口を大きく開けてゆっくりと話せば聞き取りやすい」
というのも、たしかにそれはそれで間違いではないのだが、
それでも読み取れない・・・、
という場合の方が、実は多いのではないか。

いっくら口お大きく開けて、
いっくらゆっくりと
「す・み・れ」
「す・み・れ」
などと繰り返されても、
わからないときには、わからない。

ことに、話題が変わったようなときに、
すぐさま口話で対応できる人は少ないのではないか。

4月28日の日曜日に、Eテレ「ろう・難聴を生きる」で、
「口話」のできる難聴の野球選手を紹介していた。
番組は前・後半に分かれ、後半は来週の放映とのこと。

野球ではキャプテンを務め、外野を守るときには、率先して声を出して他の選手に知らせる。
そうすれば、仲間が自分に合わせてくれる。
野球の成績はなかなかのもので、プロ野球のドラフトの指名まであと一歩というところ。

本人も立派だが、仲間も立派だ。

幼少のころから手話を使わず、「口話」を訓練してきたというから、
相手の口型で読み取る力は、人並み以上であろう。

しかし、一般には、「口話」だけでコミュニケーションを取ることは難しい。
そのことは、ろう学校における半世紀にもわたる「口話」教育の失敗が実証している。

Eテレの番組は、
「難聴者でもこのように、工夫と努力で頑張っている者がいる」
という一例であろう。

とてもよい番組だが、これを視聴している聴者のみなさんが
「訓練すればだれでも口話ができる」
と拡大解釈、誤解をする者もいらっしゃるのではないか、
との心配がある。

杞憂であればよいが。              2013.4.30

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追記 2017.10.29

「耳の聞こえない人は手話ができる」という迷信も困ったものだが、
しかし、その迷信は、日常では、さして実害はない。
私の経験では「手話か身振り、筆談で」と、お願いした場合、手話で返されたということはない。
「手話言語条例」が成立したからといって、
手話は、そう簡単に修得できるものではないからだ。

一方、「難聴者は口の動きを読み取れる」とうい迷信は、ほんとうに困ったものである。
「口を大きく開けて、ゆっくりとしゃべる」ことは、(手話とは異なり)聴者は何の練習もいらない。
みなさん、何の苦労もなく、出来てしまう。

そりゃあ、読み取れる場合もある。
しかし、それは、口形を読み取るというよりも、たまたま、勘で読み取っていることの方が多い。
「読みとれる場合もある」ということと、「読み取れる」こととは、まったく異なる。

追記 2017.10.30

「読話」とか、「空書」の読み取りは難しい。
難聴者は大変な神経を使う。
精神的に追い込まれる。
そのあげく、結局はトンチンカンな応答になり、
それを笑われる。
大笑いされる!
こんな悲しいことがほかにあるだろうか。
これは人権問題ではないか。

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Posted by 六万石 at 18:08難聴・七つの迷信

2013年05月02日

難聴・七つの迷信(3)

迷信3.補聴器を装用すると、聞こえるはずだ。 

これは世の中に、かなり広まっている迷信である。
そして、高額な補聴器ほど、より聞こえるはずだ、という迷信も。

補聴器店が片耳だけで数十万の、それでいて役にも立たない高額補聴器を、
難聴者やその家族の不安に乗じて売りつけるのは、広義の詐欺ではないのか、
と、私は思っている。

*補聴器は聴力そのものを回復させるものではない。
*「補聴器を装用すれば難聴を軽くしてくれる」とは考えてはいけない。
*補聴器の役割はわずかな音声情報の断片をよりはっきり増幅し、
聞き取りの手掛かりとして強調することにある。

(西川愛理氏 全難聴埼玉大会の講演から 資料:Mさん提供)


『補聴器は聴力そのものを回復させるものではない。
聞き取りの手掛かりとして強調することにある』
‥これは凄く私の中では名言だと思います。
なのに‥‥‥
補聴器は全て聞こえると勘違いする健聴者がいる。
理解されないって悲しいな(ToT)・・・・

Posted by sora at 2012年12月08日


※西川愛理氏ーーアメリカのパデュー大学で聴覚学を学ぶ。
昨年12月に卒業・帰国し、今年2月からスターキージャパン教育部所属。
横浜市中途失聴・難聴者協会に所属。  


Posted by 六万石 at 20:11難聴・七つの迷信

2013年05月03日

難聴・七つの迷信(3)のコメントから

私は市主催の手話講座を受講中“ろう体験”の教室に参加しましたが、その中で補聴器の話がありました。
音を扱う時に、マイクで集音しそれを増幅した後スピーカーから出すという作業では、マイクやスピーカーが小さければ小さいほど質が落ちるという事でした。これを補聴器に当てはめると、
「小さければ小さいほど高い」は「性能が低いほど高い」と言えるかもしれません。

Posted by S.Kita at 2013年05月03日

S.Kitaさん。ありがとうございました。
ろう者の方々は、補聴器というものに対して、かなり冷静ですね。

ごく基本的知識として
伝音難聴:音を伝える部分(外耳・鼓膜・中耳)の障害による難聴
感音難聴:音を感じる部分(内耳→聴神経)の障害による難聴

伝音難聴の場合は、全体に音が小さくなって聴神経に伝わるので
補聴器を装用すれば音量は回復し、言葉として聞き分けられます。
勿論騒音も大きくなるわけですが、最近のデジタル補聴器では、
騒音をある程度カットすることができるようです。

感音難聴の場合は、音が小さくなるだけでなく、音が歪む。
絵画に例えて言えば、モザイクがかかったように、ぐじゃぐじゃになっている。
したがって、その音を補聴器で拡大しても、相変わらずモザイクのかかったまま、
音だけが大きくなり、言葉として聞き分けることができないということです。

高額のデジタル補聴器は微調整ができることを売りにしていますが、
それは、あくまで「微調整」であり、基本的にモザイクを取り払う事はできない。
微調整などは「焼け石に水」のような場合が多いわけです。

補聴器店で試し聞きをして、(あるいは、お試し期間、持ち帰って聞き)
たしかに音が大きくなることを実感し、
なんとなく言葉が聞こえると錯覚し、
購入する。

しかし、やはりコミュニケーションがうまくいかない。
結局は補聴器を引き出しの中に入れて、そのまま・・・・
そういう高齢者が多いわけです。

家族や同僚から、
「もっと高い補聴器に変えたら?」
などと言われるのは、
それが悪意のない無知からとはいえ、
深く難聴者を傷つけることばです。(ROKU)




  


Posted by 六万石 at 19:43難聴・七つの迷信

2013年05月05日

難聴・七つの迷信 補聴器の限界

もう一つ、補聴器の限界について(補足)

数年前、長野難聴では、関宜正(よしまさ)先生(言語聴覚士・東京都)
を講師にお招きして「聞こえの相談会」を開いていました。

関先生はその講演で、
「どんなに高額な補聴器でも、3m以上離れれると声を拾わない」
とおっしゃった。

私は現役のころ補聴器を使って諸会議に出ていたが、
確かに、自分の席の近くでの発言者の内容はある程度聞き取れるのに、
少し遠い位置からの発言はボリュームをあげても聞き取れず、大変に苦労していた。

補聴器を高額なものにすれば聞こえるのかもしれないと、東京まで足を運んで、
「ハイパワー」とか「スーパーハイパワー」と名のつく補聴器を何回か購入したが、
やはりダメ。

関先生の話を聞いて、
「ああ、そういうことだったのか」
と納得できた。

3mといえば、
デジタルカメラのフラッシュが届く範囲と、ほぼ同じ。
カメラの構造がいくら良くても、フラッシュの光が届かなければうまくいかないのと同じだ。

補聴器店では、そういう大事なことを、わざと説明から省いて(捨象して)売っている。



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Posted by 六万石 at 16:34難聴・七つの迷信

2013年05月07日

補聴器神話(コメントから)

5/5記事(難聴・七つの迷信 補聴器の限界)へのコメントから

補聴器神話 未だに健在です。

最も僕自身自分が装着して初めて実感したことですから
聴者には説明しても仕切れるものではないと諦めています。

僕はダメ元で両側装用を申請した所、
身を守る安全に有効であるとして一昨年認められ
今は両側に補聴器を装着しています。

話し声を拾うための補聴器ではなく、
クルマや機械音がどちらから聞こえるのかなどは完全には理解出来ないのですが、それでもクルマが近づいてくるとか機械が動いているとかが明確に分かるようになり、今は脳味噌には負担がかかるのですが、仕事をする時には補聴器を使っています。

Posted by 西 at 2013年05月06日

聴者にとって理解が難しいのは、難聴者が補聴器を用いたとき、
「音は大きく聞こえるが言葉として聞き分けられない」
という現象でしょうね。

関先生もその辺のところは慎重に言葉を選び、
「どんなに高額な補聴器でも、3m以上離れれるとを拾わない」
「音を拾わない」ではなくて、「声を(人間の声をとして)拾わない」
とおっしゃっていました。
「人間の音声と、それ以外の音を区別して、人間の音声だけを伝える補聴器はない」とも。

話変わって、補聴器の両耳装用について、最近、各自治体の財政が厳しくなって、
公費交付をしぶる自治体も増えてきている、という情報があります。
法的には、医師の意見書が添付されて、本人が希望すれば交付されるわけで、
うかうかしていると難聴者は、獲得した権利も奪われかねない。
油断ならねえじ。
場合によっては今後、組織として闘争しなくてはならない時が来るかもしれません。
(ROKU)


  


Posted by 六万石 at 15:59難聴・七つの迷信

2013年05月08日

難聴・七つの迷信(4) 人工内耳

難聴・七つの迷信(再掲)  
1.耳の聞こえない人は手話ができる。    
2.耳の聞こえない人は「口話」ができる。 
3.補聴器を装用すると、聞こえるはずだ。 
4.人工内耳を装用すると健聴者なみに生活できる。
5.耳元で大声で話すと聞こえるはずだ。
6.家族が付き添えば情報保障は大丈夫。    
7.耳の聞こえない人はかわいそう。

この連載記事は4月25日から断続的に書き入れております。
今までにコメントなど、たくさんいただきまして、ありがとうございます。
関連記事を含めて、サイドバーに一項を立てまとめておりますのでよろしく。

さて、難聴・七つの迷信  
(4) 人工内耳を装用すると健聴者なみに生活できる。
この迷信は、「人工内耳」という用語が用いれるようになったごく初期の時代に、
かなり信じられていた迷信のように思います。
現在では動物の体が筋肉で動くのも、ものを感じ脳がはたらくのも、
電気信号によるものであることがわかっています。
鼓膜の振動は、内耳で電気信号に変えられ、聴神経に伝えられます。

(参考資料:「中学理科の教科書」(講談社BLUEBACKS)

内耳に障害がある感音性難聴の場合には、電気信号が聴神経にうまく伝わらない。
これを解決するのが人工内耳。
体外装置で拾った音を、体内に埋め込んだ体内装置で電気信号に変えて、
聴神経につなげる・・・

私は医者ではありませんので、詳しくはわからないのですが、
だいたいそんなふうに理解しております。

全部の聴神経につながればいいのですが、つながるのは一部の聴神経のみとのこと。

人口内耳は補聴器が適合しない感音性難聴を解決する有力な手段。
これは間違いないのですが、難聴を100パーセント解決するというわけではない。

「人工内耳を埋め込んだから100%聴者なみにきこえるばずだ」
と、聴者から、断定的に判断されては困ります。




  


Posted by 六万石 at 20:16難聴・七つの迷信