2013年12月21日
手話教室
<コメントから>
コメントありがとうございました。
指導者が日本語をべらべらとしゃべって説明し、
それを要約筆記者が追いかけて、
さらに難聴者が文字をおいかける・・・
というやり方ではダメだ。
指導者の工夫が要求されますね。
「 3つ覚えても翌日には2つ忘れる・・・」
これは私もその例にもれず、です。
(ROKU)
手話通訳と要約筆記通訳を兼務している方も、同じようなことを言っていました。
「手話教室に要約筆記通訳は必要ない、付いていると手話を覚えられないですよ」と。
私が携わっているTC教室で最初は要約筆記を付けてろう者から資料に沿って手話を学んでいました。
でも、半分くらいの参加者が手を動かすこともなく要約筆記のスクリーンを見ているのです。
「手を動かしてね」とスクリーンに書かれて初めて手を動かすというような状況でした。
何時までたっても挨拶の手話も覚えられないのでは、全然進まないな・・・と困っていました。
その時いただいた助言が「手話を学ぶ時要約筆記は必要ない」でした。
「資料は作らない」「通訳は付けない」「懇談形式で質問しながら手話を学ぶ」に変更しました。
会話を楽しみながら、少しずつ手話を覚えられるようになりました。
3つ覚えても翌日には2つ忘れる・・・こんな繰り返しですが、それで良いと思っています。
Posted by みみばぁちゃん at 2013年12月21日
コメントありがとうございました。
指導者が日本語をべらべらとしゃべって説明し、
それを要約筆記者が追いかけて、
さらに難聴者が文字をおいかける・・・
というやり方ではダメだ。
指導者の工夫が要求されますね。
「 3つ覚えても翌日には2つ忘れる・・・」
これは私もその例にもれず、です。
(ROKU)
この記事へのコメント
新しい言語を獲得する近道はないと聞いていますし、
また、習うより慣れろとも聞いています。
手話の学習もまた然りと心得ました。
これから僕の体験を書きます。
手話サークルに参加したのは今から4年前です。
サークルには講師役のろう者と聴者会わせて20名程度集まっていた。
その中で難聴者は僕だけ。
そのサークルに参加している方は手話基本講座や応用講座を修了した方や受講中といった僕にすると雲上人ばかりでした。
またく手話を知らない僕に
皆さんとても親切に手話のイロハを教えてくれました。
しかし、その教えは全て口語でした。
何度か聞き分けが難しいのでと説明しましたがなかなか理解して頂けず、
全て口語による手話学習は困難を極めました。
手話辞典で『単語』を調べ予習や復習を繰り返すも、
単語を並べ留だけでは到底文章にはならず、
また、幾つか単語を組み合わせる述語に至ってはちんぷんかんぷん。
雑談や楽しげな会話はともかく、
せめて口語で説明する部分だけでも良いから文字支援があればどれだけサークルが楽しいモノになったか知れません。
それでも皆さんは目一杯のボランティア精神に敬服すると同時に
何時も自分のために済みませんの気持ちが先に立って、
いつものように、毎日幾度も繰り返す申し訳ないから来る遠慮や物言えぬ『負け犬精神』で、”筆談”をお願いすることが出来なかったのです。
その後何カ所かの手話サークルに在籍し、手話学習を継続しています。
今まで何人かの”中途難聴者”が見学に来られましたが、
そのほとんど(と言っても4名ですが)は、
学習内容が聞き分けが出来ない。
楽しげに雑談しているが、楽しさの中身が分からない。
何故笑っているのだろう。
耳元で大きな声で話しをされた・・・等々・・・等々の理由で
サークルに参加されないのです。
状況に寄るのでしょうか。
「手話教室に要約筆記通訳は必要ない、付いていると手話を覚えられない」現象が起きるのでしょうか?
今、難聴者4名だけという小さな集まりですが
細々と手話学習と称した催しを開催しています。
この集まりでは口語の全てを文字情報にしていますし、
『手話の語源』を僕がイラストで表示したりしながら
のんびりとそれぞれのペースに会わせた楽しい学習会を目指しています。
「手話教室に要約筆記通訳は必要ない」の正反対の方法を採用していますが
今まで手話サークルで疎外感を強く感じてきた皆さんが、
大きな声で笑いながら雑談する様は
施設職員曰く『本当に楽しそうに手話しておられたね』と
評して下さいました。
新しい言語を獲得する道は遥か遠い道のりだと思います。
生半可な覚悟では習得なんて出来ないことは僕も薄々知っています。
ですが、今まで散々苦渋を感じてきた仲間たち(難聴者)と一緒に
例え遠回りであったとしても楽しく、息長く、ゆるゆると、個々人の生活の中で必要と思われる内容を重視しながら手話学習に結びつけて行ければいいなと思っています。
『〜ねばならない』や『〜べきである』ではなく
どんな形であれ、その形が最善だとか良いとかということではなく
それぞれの有り様の中でこそ、手話学習の場が成立して行けばいいのではないでしょうか。
また、習うより慣れろとも聞いています。
手話の学習もまた然りと心得ました。
これから僕の体験を書きます。
手話サークルに参加したのは今から4年前です。
サークルには講師役のろう者と聴者会わせて20名程度集まっていた。
その中で難聴者は僕だけ。
そのサークルに参加している方は手話基本講座や応用講座を修了した方や受講中といった僕にすると雲上人ばかりでした。
またく手話を知らない僕に
皆さんとても親切に手話のイロハを教えてくれました。
しかし、その教えは全て口語でした。
何度か聞き分けが難しいのでと説明しましたがなかなか理解して頂けず、
全て口語による手話学習は困難を極めました。
手話辞典で『単語』を調べ予習や復習を繰り返すも、
単語を並べ留だけでは到底文章にはならず、
また、幾つか単語を組み合わせる述語に至ってはちんぷんかんぷん。
雑談や楽しげな会話はともかく、
せめて口語で説明する部分だけでも良いから文字支援があればどれだけサークルが楽しいモノになったか知れません。
それでも皆さんは目一杯のボランティア精神に敬服すると同時に
何時も自分のために済みませんの気持ちが先に立って、
いつものように、毎日幾度も繰り返す申し訳ないから来る遠慮や物言えぬ『負け犬精神』で、”筆談”をお願いすることが出来なかったのです。
その後何カ所かの手話サークルに在籍し、手話学習を継続しています。
今まで何人かの”中途難聴者”が見学に来られましたが、
そのほとんど(と言っても4名ですが)は、
学習内容が聞き分けが出来ない。
楽しげに雑談しているが、楽しさの中身が分からない。
何故笑っているのだろう。
耳元で大きな声で話しをされた・・・等々・・・等々の理由で
サークルに参加されないのです。
状況に寄るのでしょうか。
「手話教室に要約筆記通訳は必要ない、付いていると手話を覚えられない」現象が起きるのでしょうか?
今、難聴者4名だけという小さな集まりですが
細々と手話学習と称した催しを開催しています。
この集まりでは口語の全てを文字情報にしていますし、
『手話の語源』を僕がイラストで表示したりしながら
のんびりとそれぞれのペースに会わせた楽しい学習会を目指しています。
「手話教室に要約筆記通訳は必要ない」の正反対の方法を採用していますが
今まで手話サークルで疎外感を強く感じてきた皆さんが、
大きな声で笑いながら雑談する様は
施設職員曰く『本当に楽しそうに手話しておられたね』と
評して下さいました。
新しい言語を獲得する道は遥か遠い道のりだと思います。
生半可な覚悟では習得なんて出来ないことは僕も薄々知っています。
ですが、今まで散々苦渋を感じてきた仲間たち(難聴者)と一緒に
例え遠回りであったとしても楽しく、息長く、ゆるゆると、個々人の生活の中で必要と思われる内容を重視しながら手話学習に結びつけて行ければいいなと思っています。
『〜ねばならない』や『〜べきである』ではなく
どんな形であれ、その形が最善だとか良いとかということではなく
それぞれの有り様の中でこそ、手話学習の場が成立して行けばいいのではないでしょうか。
Posted by 西 at 2013年12月23日 18:45