2013年12月24日
12月24日の記事
<コメント>
そうです、そうです。
私も断言するわけではありません。
塩尻の難聴者グループの場合、ごく初歩段階の学習では要約筆記者についてもらいました。、
指導していただいた手話通訳士が難聴者の状況を理解してくださり、
手話単語をホワイトボードで書いてから、手話の形を教えてくださった。
結果的に、要約筆記者はごく補助的な役割を担うことなりました。
やっていくうちに、要約筆記者もご一緒に手話したりして、楽しかったです。
「指導者が難聴者を無視して進めて、それを要約筆記者が遅れ遅れに追いかける」
「難聴者が手話を見ないで文字の方だけを見ている」
という方法ではうまくいかない、と、
そういうことを言いたかったわけです。
記事のタイトルがちょっとまずかったかな、と反省しています。
(ROKU)
手話を学ぶには要約筆記は必要ないと断言するわけではありません。
要約筆記があると、難聴者は要約筆記に頼ってしまうというか、ついつい要約筆記に目がいってしまい手話に集中できないということになりやすいということかと理解していました。
英語を学ぶには日本語が使えない状態、たとえば英語圏にホームスティするのが良いというのと似ているかと思います。
要約筆記通訳はつけないでやりましたが、分らないときは筆談を取り入れて進めました。
通訳が無いと「今のは何?」と必然的に質問することになるので覚えやすいように感じました。
「それぞれの有り様の中でこそ、手話学習の場が成立して行けばいいのではないでしょうか。」
その通りですね。
Posted by みみばぁちゃん at 2013年12月24日
そうです、そうです。
私も断言するわけではありません。
塩尻の難聴者グループの場合、ごく初歩段階の学習では要約筆記者についてもらいました。、
指導していただいた手話通訳士が難聴者の状況を理解してくださり、
手話単語をホワイトボードで書いてから、手話の形を教えてくださった。
結果的に、要約筆記者はごく補助的な役割を担うことなりました。
やっていくうちに、要約筆記者もご一緒に手話したりして、楽しかったです。
「指導者が難聴者を無視して進めて、それを要約筆記者が遅れ遅れに追いかける」
「難聴者が手話を見ないで文字の方だけを見ている」
という方法ではうまくいかない、と、
そういうことを言いたかったわけです。
記事のタイトルがちょっとまずかったかな、と反省しています。
(ROKU)
この記事へのコメント
実は僕の書き込みにも『主語』が欠落していたので分かり難かったかも知れませんね。
難聴者主体の学習会でのことを指しているのではなく、主に手話通訳者を目指している聴者主体の学習会に僕という超初心者が混入した時点で大間違いだったのです。
今一度指摘しますが、みみばぁちゃんが書き込まれたような文字支援は全くなかったので、『手話を学ぶには要約筆記は必要ない』を富山の現状に当てはめると難聴者にとってはとても辛いものを感じたので長文を書き込みました。
そして、その特定の『場』を指摘するとギクシャクすることが多々ありそうなので敢えて曖昧に書き込んでしまいました。
難聴者・中途失聴者を取り巻く環境は、
手話の学習であれ行政の取り組みであれ富山の現状は、長野の現状の10年遅れでしょうか。
みみばぁちゃんやろぜっと山口さんやろくさんの書き込みを読みながら
何時も羨ましく思うと同時に、おそらく私たちが求め目指す方向は『長野モデル』を参考にして行けばいいのかななんて何時も感じながらご意見を読ませて頂いています。
難聴者主体の学習会でのことを指しているのではなく、主に手話通訳者を目指している聴者主体の学習会に僕という超初心者が混入した時点で大間違いだったのです。
今一度指摘しますが、みみばぁちゃんが書き込まれたような文字支援は全くなかったので、『手話を学ぶには要約筆記は必要ない』を富山の現状に当てはめると難聴者にとってはとても辛いものを感じたので長文を書き込みました。
そして、その特定の『場』を指摘するとギクシャクすることが多々ありそうなので敢えて曖昧に書き込んでしまいました。
難聴者・中途失聴者を取り巻く環境は、
手話の学習であれ行政の取り組みであれ富山の現状は、長野の現状の10年遅れでしょうか。
みみばぁちゃんやろぜっと山口さんやろくさんの書き込みを読みながら
何時も羨ましく思うと同時に、おそらく私たちが求め目指す方向は『長野モデル』を参考にして行けばいいのかななんて何時も感じながらご意見を読ませて頂いています。
Posted by 西 at 2013年12月25日 08:15