2013年12月27日
要約筆記の限界
落語は好きである。
Eテレで、「日本の話芸」を見ています。
字幕というものはありがたいもので、画面に、
演じている落語家と字幕(前ロール)が同時に目に入ってくるので、
見ていて笑うこともできるし、「おち」もよくわかる。
あれがもし前ロールでなくて同時入力の「生字幕」だったら、
字幕が落語家のセリフと所作に遅れてしまい、全く笑えないだろう。
前ロールだからこそ、
縦横○○インチの画面に同時に写るからこそ、
である。
いつぞや長野難聴の定例会で、「落語を楽しもう」という試みがあった。
要約筆記者がものすごい苦労をされて「前ロール」をつくってくださったが、
残念ながら、演じる人と字幕が同時に目の中に入らないので、
はっきり言って、全然わからなかった。
それは物理的に仕方のないことで、
「字幕表示メガネ」
のようなものを用いない限り、不可能なことである。
あのときは、せっかく作ってくださった大量の前ロールが有効に機能しなくて、
なんだか申し訳ない気持だった。
私は、あの例会に参加する際に、実は、不安があった。
難聴者の会といっても、各人の聞こえのレベルはマチマチで、
磁気ループで聞こえる者もいる。
私は磁気ループでも、(音は大きくなるが)言語の聞き分けができない。
もし、仲間の皆さんが笑って、
私一人だけが笑えなかったらどうしよう・・・・。
幸いなことに、(という表現は変か?)
誰も笑わなかった!
あれ? みんな同じだな!・・・
安心感とともに、妙なところで連帯感が持てた。
その意味では、あの試みは(私にとっては)大成功だったのである。
(ROKU)
Eテレで、「日本の話芸」を見ています。
字幕というものはありがたいもので、画面に、
演じている落語家と字幕(前ロール)が同時に目に入ってくるので、
見ていて笑うこともできるし、「おち」もよくわかる。
あれがもし前ロールでなくて同時入力の「生字幕」だったら、
字幕が落語家のセリフと所作に遅れてしまい、全く笑えないだろう。
前ロールだからこそ、
縦横○○インチの画面に同時に写るからこそ、
である。
いつぞや長野難聴の定例会で、「落語を楽しもう」という試みがあった。
要約筆記者がものすごい苦労をされて「前ロール」をつくってくださったが、
残念ながら、演じる人と字幕が同時に目の中に入らないので、
はっきり言って、全然わからなかった。
それは物理的に仕方のないことで、
「字幕表示メガネ」
のようなものを用いない限り、不可能なことである。
あのときは、せっかく作ってくださった大量の前ロールが有効に機能しなくて、
なんだか申し訳ない気持だった。
私は、あの例会に参加する際に、実は、不安があった。
難聴者の会といっても、各人の聞こえのレベルはマチマチで、
磁気ループで聞こえる者もいる。
私は磁気ループでも、(音は大きくなるが)言語の聞き分けができない。
もし、仲間の皆さんが笑って、
私一人だけが笑えなかったらどうしよう・・・・。
幸いなことに、(という表現は変か?)
誰も笑わなかった!
あれ? みんな同じだな!・・・
安心感とともに、妙なところで連帯感が持てた。
その意味では、あの試みは(私にとっては)大成功だったのである。
(ROKU)
Posted by 六万石 at 17:34
│要約筆記