2014年03月05日

手話習得。手話獲得。

<西さんからのコメントです>

手話習得。手話獲得。

とにかく「得」するのは大変な努力が要りますよね。

何故手話なのか?
何度も自問自答してきました。
「得」なのか「損」なのか分かりませんが
知らなかった事を学び分かるようになるは
ただ単純に嬉しく喜びに繋がりました。

実生活の中では、
要約筆記者 兼 手話通訳士(富山では兼務者が多い)
から支援を受ける時、
最も適切で早く正確な通訳がなされる事に気が付きました。
つまり、僕が多少でも手話の読み取りが出来る事で
要約筆記と手話を併用した形で通訳されると
発言者の言葉が遅延無く通訳していただけ
とても助かるのです。

僕が手話を学ぶという事は、
手話を読みとれるようになることと理解しています。

Posted by 西 at 2014年03月03日

西さん、コメントをありがとうございました。
こちらも、要約筆記者兼手話通訳者と言う方は多い。
と言うよりも、
そもそも手話通訳の方々が、通訳活動をしていく中で、
要約筆記にも心を向けた、
いや、要約筆記にこそ心を向けた・・・・
というケースモあるのではないかと思います。

さて、私も、ちょっとした時候の挨拶ぐらいまでは、
手話を使ってもらっています。
しかし、話の中身になってくると、
私は、まだまだ、
やはり書いてもらわなくてはわからない。
いまのところ、そういう状態です。




Posted by 六万石 at 19:08 │手話要約筆記
この記事へのコメント
難聴・失聴歴数十年の中で、聞こえなくて困ったことだらけではあるが、手話が使えなくて困ったことはほとんどない。
社会の中にあって手話が必要な場面は少ないですよね。
使えたらいいなと思うのは、相手が手話のみでコミをとる場合くらいかもしれません。
トータルコミュニケーションで手話の勉強を始めましたが、取得するのは不可能な状況です。
それでも構わないと思っています。
難聴協の中にはろう者の方もいますが、一つ二つの片言の手話を入れただけでも理解しようと努力してくださっています。
手話を覚えて!と言われたこともないですが、会話の中で間違った手話表現をするとヤンワリと違うよって訂正されます。

手話通訳者が難聴者と話すときは、こちらが手話が分からないことは知っていても、自然と手が動いています。
習慣化してしまっているのでしょうね。
こちらの要約筆記者の中にはやっぱり手話も学んだ方がいますし、手話通訳者になってから要約筆記も学んだ方もいます。
圧倒的に多い手話が分からない難聴者のために要約筆記に目を向けたというところではないでしょうか。
聴覚障害者のことを心底考えてくださっているのは、要約筆記者であり手話通訳者ですね。
ありがたいことです。
職業として成り立つ地位と報酬をあげられたらいいのにな・・
Posted by みみばあちゃん at 2014年03月06日 00:41