2014年06月16日
コミの手がかりとしての手話(2)
私が難聴者として手話サークルに参加するのは、
手話通訳とかになるために手話を学ぶためではなくて、
聴こえない者のコミの手がかり
の一つとして手話を学ぶためである。
日本手話とか、
日本語対応手話とか、
そういうことには全然こだわらない。
手話は手話だ。
とにかく教えてもらった通りに覚えるよう努力している。
「難聴者のために手話を教えてあげる」
という仲間(ろう者・聴者)もいる。
ありがたい。
「難聴者のために」と言いながら、
いつの間にか
「そういう手話ではろう者に伝わらないよ」
と仰る。
一度でいいから、
「そういう(速い)手話では難聴者に伝わらないよ」
と、言ってみたいものだ。
手話通訳とかになるために手話を学ぶためではなくて、
聴こえない者のコミの手がかり
の一つとして手話を学ぶためである。
日本手話とか、
日本語対応手話とか、
そういうことには全然こだわらない。
手話は手話だ。
とにかく教えてもらった通りに覚えるよう努力している。
「難聴者のために手話を教えてあげる」
という仲間(ろう者・聴者)もいる。
ありがたい。
「難聴者のために」と言いながら、
いつの間にか
「そういう手話ではろう者に伝わらないよ」
と仰る。
一度でいいから、
「そういう(速い)手話では難聴者に伝わらないよ」
と、言ってみたいものだ。
Posted by 六万石 at 05:33
│手話