2014年12月19日
難聴・やっかいな障害ですね
2014/12/19(金)

今日はよく晴れました。
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難聴・・・このやっかいな障害
思えば昭和30年代から40年代、
私は軽・中度難聴の時期を経験している。
中途半端な聞こえのせいで他人からは
「聞こえている?」
と思われることがとても多かったような気がする。
自分が聞こえていないとに気付かないでいる時間の方が多かった。
テレビから流れる歌のメロディーも歌詞も自分では聞こえているように思っていた。
を
他から指摘されるまでは気が付かなかった。
会議のときなども、
「こういうふうに決まった」
と、後から教えてもらって、
自分が聞こえていない部分に気づくことが多かった。
今、軽度難聴である仲間を見ても、どうも、そんな気がする。
難聴者は当事者として、
聞こえているような、聞こえていないような状態であること、
ABRで音自体が聞こえても、言葉として伝わらない状態であること、
補聴器にしても、人工内耳にしても、
それにより健聴者並に聞こえようになるわけではないということ。
そういうことを社会に向かって、
きちんと説明することが重要であると思います。
<2014/12/19 >
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今日はよく晴れました。
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難聴・・・このやっかいな障害
思えば昭和30年代から40年代、
私は軽・中度難聴の時期を経験している。
中途半端な聞こえのせいで他人からは
「聞こえている?」
と思われることがとても多かったような気がする。
自分が聞こえていないとに気付かないでいる時間の方が多かった。
テレビから流れる歌のメロディーも歌詞も自分では聞こえているように思っていた。
♪ 別れに星影のワルツを歌おうを
♪ 別れに星影のワルツ だよ~あるいは
♪ 会わ なきゃ 夜が やるせない
を
♪会わなきゃ よかった やるせないなどと歌ってしまい
他から指摘されるまでは気が付かなかった。
会議のときなども、
「こういうふうに決まった」
と、後から教えてもらって、
自分が聞こえていない部分に気づくことが多かった。
今、軽度難聴である仲間を見ても、どうも、そんな気がする。
難聴者は当事者として、
聞こえているような、聞こえていないような状態であること、
ABRで音自体が聞こえても、言葉として伝わらない状態であること、
補聴器にしても、人工内耳にしても、
それにより健聴者並に聞こえようになるわけではないということ。
そういうことを社会に向かって、
きちんと説明することが重要であると思います。
<2014/12/19 >
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Posted by 六万石 at 15:55
│難聴・七つの迷信