2016年05月21日

差別を差別だと気が付かない

本年4月1日から、障がい者差別解消法がスタートした。

この法律では「不当な差別的取扱い」を禁止し、「合理的配慮の提供」を求めている。

(長野県 手話定期便)
→ http://www.pref.nagano.lg.jp/shogai-shien/kenko/shogai/shuwa/doga.html

上掲の手話定期便では「不当な差別的取扱い」の具体例として次の3例を挙げている。

① 障がいを理由にして受付の対応を拒否する。
② 障がい者本人を無視して、介助者や支援者、付き添いの人にだけ話しかける。
③ 障がい者向け物件はない、と言って、アパートを貸してくれない

①や③の例は、誰にもわかる明確な差別であるが、
②については、これが差別であることが、世間に知られていない。

家族の付き添いで病院へ行ったことのある難聴者なら、だれでも経験していることだろう。
通訳がいても、医者は、やはり、一方的に通訳に向かって話をしがちである。
「これは、差別である」
難聴者自身も、しっかり自覚する必要があると思います。

当ブログの過去記事を引用します。

☆ アーカイブ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
何時も思うのですが
お話しされる方がノートテイカーを見ながら話しされ
僕を全く見ようとしないのです。
僕がログを読んでいるからなのでしょうが
読んでいる合間合間には発言者の目を見た口を見たりしているのですが
何時も視線がなかなか合わないのにはがっかりします。
説明を求めているのはノートテイカーではなく
僕なのですが・・・(苦笑)
Posted by 西 at 2013年05月31日

これは医療の通訳現場で、多くの難聴者が経験していることですね。
ノートテイカーが美人だから仕方ない(笑)
いや、笑い話で済むことではない。

派遣ノートテイカーではなくて、家族が付き添いの場合には、
もっとひどいことになる。

医者は患者の私に向かって話をしない。
はなっから患者を無視して一方的に家族に説明する。

結局、なんにもわからずに帰宅後に家族から
「大丈夫だった」
とか聞かされるだけ。

医者の30分以上もの説明は伝わらず、
「大丈夫だった!」

超要約
されていまう。

プロの要約筆記者の場合でも、医者は、
どうしても要約筆記者相手に説明しようと試みる。

ノートテイカーが不用意に医者に相槌など打とうものなら
かさにかかって、
一方的にノートテイカーだけを相手にしがちである。

結局は医者がバカなのだが、
そういうことが起こりうるということは、
こちらも十分警戒していく必要があると思います。     (2013.5)

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☆上掲は,、当ブログの、今からちょうど3年前の記事です。
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ニシダ        (HNを変えました)

三年前の記事でしたか。

病院ではドクターがカルテのモニターに書いてくれるようになり
随分「配慮」(この配慮という文言が気に入らないのですが)が進み
状況は良くなってきていると感じています。

ですが、全てが全てこのような「配慮」がなされているとは言えないようですね。

昔、祖母が「先生様」と言っていたのを記憶しています。
この「様」の称号が、患者と医師の上下関係が生まれる元凶かも知れません。

あくまでも、治療を求める患者と、治療する医師という
対等であるべきが原則だと思っているいるのですが、

言い過ぎでしょうか。

Posted by ニシダ(HNを変えました) at 2016年05月21日

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ROKU

3年前ですね。
俺たちは気づいていたんですよね。
「これは人権侵害である」
と。
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コリ

対等であるべきだと思いますが、
「病気を治してもらう。」
という意識がどうしてもあり、
失聴して10年たっても「筆談」の一言を言うのはドキドキしてしまい、
勇気が要ると聞きます。

車いすの友人といっしょにいると、
「お手伝いしましょうか。」
とか
「大丈夫ですか。」
と声をかけられるのは友人ではなく、自分だ。
・・・という新聞記事を読んだことがありますが、
これが差別にあたるとは思いませんでした。

悪意を持って差別する人は多くはないけれど、
知らずに差別をしてしまうことがあるのですね。
                           Posted by コリ at 2016年05月21日
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ROKU

車いすのかたにも、そういうことがあるのですね。
この話は、初めて知りました。

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ROKU

以下、2016/2/15 当ブログから引用します。

医師の話を要約筆記者がノートテイクし患者がそのログを、
じっと、読んでいる・・・、というような状況で、
医師は、はたして患者に向かって話すだろうか。

「話しても通じない」と、はっきりわかっている相手に向かって話をするだろうか。
動物病院で医師は、犬に向かって話をするだろうか。
ネコに向かって話をするだろうか。

だから、医師が要約筆記者にのみ向かって話をする、とい状況は、
考えてみれば、ごく当たり前ではなかろうか。

私の場合、医者には
「自分は聞こえないが、口形などで、およそはわかる」
        →実はこれ、大ウソ!! だが、話の展開でわかってしまうときもある))、
「だからこちらを向いて話してほしい」
と、要望して、そのようにしてもらっている。
 
以上、引用文でした、医者にこっちを向いて話してもらうには、
やはり、こちら(通訳者とその利用者)も、
それなりの工夫が必要ではないかと思っております。

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<書き込み大歓迎>









Posted by 六万石 at 08:00 │権利学習
この記事へのコメント
話しても聞こえないと、はっきりわかっている相手に向かって話をするだろうか。

夫も、まったくそのように言っていました。

車いすのことも聞いてみましたが、いちいち「手伝いましょうか?」なんて聞かない。ちゃんと押しているのに、却って失礼だ。坂道とか砂利道で、困ってる様子だったらすぐ助ける。いつもそうしてるの見てるでしょ。
Posted by コリ at 2016年05月23日 10:44
対等であるべきだと思いますが、「病気を治してもらう。」という意識がどうしてもあり、失聴して10年たっても「筆談」の一言を言うのはドキドキしてしまい、勇気が要ると聞きます。

車いすの友人といっしょにいると、「お手伝いしましょうか。」とか「大丈夫ですか。」と声をかけられるのは友人ではなく、自分だ。という新聞記事を読んだことがありますが、これが差別にあたるとは思いませんでした。悪意を持って差別する人は多くはないけれど、知らずに差別をしてしまうことがあるのですね。
Posted by コリ at 2016年05月21日 09:20
三年前の記事でしたか。

病院ではドクターがカルテのモニターに書いてくれるようになり
随分「配慮」(この配慮という文言が気に入らないのですが)が進み
状況は良くなってきていると感じています。

ですが、全てが全てこのような「配慮」がなされているとは言えないようですね。

昔、祖母が「先生様」と言っていたのを記憶しています。
この「様」の称号が、患者と医師の上下関係が生まれる元凶かも知れません。

あくまでも、治療を求める患者と、治療する医師という
対等であるべきが原則だと思っているいるのですが、
言い過ぎでしょうか。
Posted by ニシダ(HNを変えました) at 2016年05月21日 08:30