2016年08月30日
共生と共存(2)
≪8.27 問題提起≫
「共生」という用語を、少し調べてみました。(参考資料)
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共生という言葉は、もともと生物学の用語が、社会学に拡大されたものですね。
人間社会における「共生」は、だjから、
「尊い!」
のである。(・・・と思う.。
ROKU 2016.8.27
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<この記事へのコメント>
コリさんより、
なぜ尊いのか、・・・
考えてみました。
自然界における共生は弱肉強食ですが、私たち人間は基本的人権の尊重を根底に置き、弱肉強食(優生思想)を克服する努力を重ねて、真の共生を目指してきました。だから尊いのだと思います。
でも、今の社会は障害者の人格を否定する発言があっても、厳しく追及しないで、それどころか許容さえしてしまう風潮がどこかにあります。相模原事件の容疑者の「障害者は要らない。」という発想は、この社会の一面を反映しているのではないかと思います。
せめて、この痛ましい事件が、障害のある人もない人も、公的な保障のもと、多様な生き方を認め合う社会(共生社会)を考えるきっかけになればと思いました。
Posted by コリ at 2016年08月29日 15:42
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ROKU
コリさんのご指摘のように人間は他の動物とは異なり、
>弱肉強食(優生思想)を克服する努力を重ねて、真の共生を目指してきました。
だから尊いのだと・・・
私も同感です。
健常者側から見て、障害者の存在は「双利共生」なのか、「片利共生」なのか、
あるいは「寄生」なのか。
認知症などの重度の障害を持つ高齢者を介護するのは、並大抵ではないと思う。
とてもじゃないが「双利共生」とは思えないだろう。
しかし、健常者とて、将来永劫に健常者であることはできない。
「明日は我が身」
ということに思い及ぶならば、「弱き者」の存在は、「双利共生」であるはずなのだが、
実際には大変だ。
相模原事件の容疑者は、障害者の存在をを「寄生」ととらえたのではないかな。
「寄生虫」だから、それは「駆除」の対象である、と。
どこでどう間違えたのか・・・・。
まとまりませんが、そんなふうにも考えました。
2016.8.31
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「共生」という用語を、少し調べてみました。(参考資料)
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共生とは、異種の生物が緊密な結びつきを保ちながら一緒に生活すること。
当事者が得る利益・不利益によって、
① 双利共生、
② 片利共生、
③ 寄生
に大別されるが、狭義にはこのうち双利共生のみを共生という。
アリとアリマキのような典型的なもの以外に、
・菌類と藻類が共生した地衣類、
・サンゴと褐虫藻類、
・草食動物と腸内細菌
など、より緊密な共生関係が知られ、
また真核細胞のミトコンドリアや葉緑体が共生細菌に由来することが明らかになり、進化における共生の意義が再認識されている。
地球全体を共生系とみなす考え方もある。
知恵蔵2015 より引用
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「共生」とよく似た言葉に「共存」がある。、
共存は「ともに存在する」というニュートラルな意味であるのに対し
共生は助け合いの意味が含まれている。たとえば、
「多様な意見が共存している」
とは言うが
「多様な意見が共生している」
とは言わない。
「自然界で見られる共生は、人間社会でしばしばみられるような自己犠牲を伴う親切心から成り立っているわけではない」
「人間が行うボランティア活動は、人間以外の生物にとっては理解不能な行為と映るにちがいない」
東京大学:宮下直著「生物多様性の仕組みを解く」より引用
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共生という言葉は、もともと生物学の用語が、社会学に拡大されたものですね。
人間社会における「共生」は、だjから、
「尊い!」
のである。(・・・と思う.。
ROKU 2016.8.27
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<この記事へのコメント>

なぜ尊いのか、・・・
考えてみました。
自然界における共生は弱肉強食ですが、私たち人間は基本的人権の尊重を根底に置き、弱肉強食(優生思想)を克服する努力を重ねて、真の共生を目指してきました。だから尊いのだと思います。
でも、今の社会は障害者の人格を否定する発言があっても、厳しく追及しないで、それどころか許容さえしてしまう風潮がどこかにあります。相模原事件の容疑者の「障害者は要らない。」という発想は、この社会の一面を反映しているのではないかと思います。
せめて、この痛ましい事件が、障害のある人もない人も、公的な保障のもと、多様な生き方を認め合う社会(共生社会)を考えるきっかけになればと思いました。
Posted by コリ at 2016年08月29日 15:42
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ROKU
コリさんのご指摘のように人間は他の動物とは異なり、
>弱肉強食(優生思想)を克服する努力を重ねて、真の共生を目指してきました。
だから尊いのだと・・・
私も同感です。
健常者側から見て、障害者の存在は「双利共生」なのか、「片利共生」なのか、
あるいは「寄生」なのか。
認知症などの重度の障害を持つ高齢者を介護するのは、並大抵ではないと思う。
とてもじゃないが「双利共生」とは思えないだろう。
しかし、健常者とて、将来永劫に健常者であることはできない。
「明日は我が身」
ということに思い及ぶならば、「弱き者」の存在は、「双利共生」であるはずなのだが、
実際には大変だ。
相模原事件の容疑者は、障害者の存在をを「寄生」ととらえたのではないかな。
「寄生虫」だから、それは「駆除」の対象である、と。
どこでどう間違えたのか・・・・。
まとまりませんが、そんなふうにも考えました。
2016.8.31
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Posted by 六万石 at 13:29
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