2017年01月11日
岡谷南高校



昭和47年度卒OBより、いただきました。
<関連記事>
☆ 湖上の風 (諏訪湖畔・岡谷市)
→ http://rokumangoku.naganoblog.jp/e1994716.html
☆ 第28回諏訪湖マラソン
→ http://rokumangoku.naganoblog.jp/e2004914.html
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2017.1.11 (WED)
あしたどーなる拝読しております。岡南OB DAISUKE
岡谷南の登場回数は野沢北に比較するとかなり寂しいですが、これからでしょうか。
まあ、軽井沢にいますと、いろいろな場面で当地最高学府の野沢北と交わりますが、
当社親会社のM不動産にも野沢北OBの常務取締役がいて(もちろん私より若い)、
なかなかの人物であります。
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ご安心ください。
岡谷南は、これからです。
50年も経過すると、
取り締まる役のやつとか
取り締まらない役のやつとか、
まあ、いろいろで、
それでいいのであって、
♪ 君の行く道は
はてしーなく遠い・・
なのだ。
青春のカルチェラタン
(註)
学校というところは、生徒らが卒業すると、
学籍簿(指導要録)のみを、学校の防災金庫に残し、
その他の個人情報の書類は一切焼却いたします。
「成績一覧表」
「出席表」
「教務手帳(いわゆる「えんま帖」)」
「生徒調べ」(生徒の個人情報)
その他、個人情報の一切、
これらは、(原則として)学年主任の立ち合いのもと、焼却されます。
ホームルーム日誌というのは、どうなのか。
これにも、個人情報が満載である。
だから、本来は、焼却すべきものであったろう。
でも、偶然に残っていたのだ。
2017.2.6 (MON)
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<コメント>
ホームルーム日誌。なんと懐かしい。Posted by コリ at 2017年02月07日
日直になると黒板消しをやったり、
先生が来るのが遅いと呼びに行ったり、
ずっと来ない方がいいので呼びに行かない日直が多かったけれど。
それで最後に日誌を書く。授業中に書く日直もいたりして。
このイラストは2C担任ROKU先生?
楽しいクラスだったのですね。
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生徒というのは、意外と鋭く、教師の特徴を見破り、マンガにするものですね。
このゼッケンは、岡谷南高校伝統の、
岡谷~天竜峡(96キロ)の競歩大会で用いられたものです。
岡谷南高校は、当時は男子校で、教師も全員男性で、
女性といえば、保健室、図書館司書、理科実習助手、事務職員のみ。
隣接の岡谷東高校が女子高で、
生徒らは普段から相当に意識していた。
競歩大会は、土曜日の午後3時出発。
夜を徹して歩き
天竜峡の最終関門時間は、翌日の午後3時。
クラス対抗で、関門ごとに配点された。
飯田市を通過するのが日曜日の午前中ということで、
飯田風越高校(当時は女子高校)の生徒会が、関門で、
お菓子やお茶をふるまって、
がんばって! と、声援を送った。
競歩大会は昭和32年に始まり、隔年に行われていたが、
行程道路の交通事情の悪化とか、
もし大きな事故が起こったとき学校の責任はどうなるのか、
というような不安があり、昭和46年の大会を最後に中止された。
その後は、距離を半減して、茅野~原村のコースになったと聞いている。
ちなみに、昭和46年、天竜峡コース最後の優勝は
2年C組 !
岡谷南高校五十年史 より引用。
2017.2.9 (THU)
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2017.2.21 (TUE)
「岡谷南高等学校五十年史」より引用
左:中央渡り廊下
写真には写っていませんが、ここに、大型の机が一列に、ずらりと並び
新聞(全国紙、地元紙。スポーツ紙)が置かれて、大盛況だった。
'忍者’(数学の先生)が
「君たちはスポーツ紙ばっかり読まないで 『日本経済新聞』を読まなきゃダメダ」
と、仰っていたなあ。
右:恐怖(?)の階段
2017.2.21 (TUE)
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Posted by 六万石 at 07:14