2015年06月04日
ベル先生
「ベル先生」物語 (お話」)
① グラハムベルは1847年3月3日、スコットランドで生まれ。(江戸時代末期)
② 父は大学教授。母は聴覚障害者。
③ 幼いころから好奇心旺盛で、実験や発明するのが好きだった。
④ 音楽も得意で、教わらなくてもピアノが弾けた。
⑤ ベル少年は手話を習得し、母の側に座り家族の会話を手話で通訳した[。
⑥ 父は、ろう学校の校長となって「読唇術」の研究をしていた。
⑦ 自分の部屋から友人の部屋まで電信線をひいて、電気で音声を伝える実験をした。
⑧ 23歳のとき、カナダに移住し、さらに実験を続けた。
⑨ 父の紹介で「ボストンろう学校」の先生になった。
⑩ そのろう学校には、幼いヘレン・ケラーもいた。
⑪ ベルはヘレンケラーに、アン・サリヴァン先生を紹介した。
⑫ サリバン先生が、最初にヘレン・ケラーの家にやってきたのは、3月3日。
⑬ 1876年、人類史上初めての通話実験に成功した。(29歳)
⑭ 電話での最初の言葉は、「ワトソン君、用事がある、すぐ来い」だった。
⑮ 1877年結婚。奥さんも、ろう者。
⑯ その後も水中翼船とか、いろいろ発明。1922年(大正12年)死去(75歳)
なお、ベル先生は、電話嫌いで、自分の部屋には電話は置かなかった。
死ぬときに、「自分の発明のなかで、電話なんてものは余計だったな」
と言ったというエピソードがあります。
耳の日について
① 3月3日は「耳の日」です。
② 「耳の日」は、昭和31年、日本耳鼻咽喉科学会により定められました。
③ 偶然ですが、ベル先生の誕生日で、また、ヘレンケラーがサリバン先生と出会った日も3月3日です。
④ このことから、3月3日は「耳の日」として世界共通となっています。
⑤ 耳の日には、日本各地で「耳の日フェスティバル」などが行われます。
デシベル(dB)について。
① 音の大きさを表す単位としてデシベルが使われています。
② 「ベル(Bell)」という単位はベル先生の名前からとったものです。
③ 「1デシベル(dB)」は、「1ベルの 1/10 のことです。
④ つまり、1ベルは10デシベル ( 1B=10dB )
⑤ 「デシベル」は「聴力(の損失)」を表す単位として使われます。
120デシベル ・飛行機のエンジンの近く
110デシベル ・自動車の警笛(前方2m)・リベット打ち
100デシベル ・電車が通るときのガードの下
90デシベル ・犬の鳴き声(正面5m)・騒々しい工場の中・カラオケ(店内客席中央)
80デシベル ・地下鉄の車内・電車の車内・ピアノ(正面1m)
70デシベル ・ステレオ(正面1m、夜間)・騒々しい事務所の中・騒々しい街頭
60デシベル ・静かな乗用車・普通の会話
50デシベル ・静かな事務所・クーラー(屋外機、始動時)
40デシベル ・市内の深夜・図書館・静かな住宅の昼
30デシベル ・郊外の深夜・ささやき声
20デシベル ・木の葉のふれあう音・置時計の秒針の音(前方1m)
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2015..6.4
① グラハムベルは1847年3月3日、スコットランドで生まれ。(江戸時代末期)
② 父は大学教授。母は聴覚障害者。
③ 幼いころから好奇心旺盛で、実験や発明するのが好きだった。
④ 音楽も得意で、教わらなくてもピアノが弾けた。
⑤ ベル少年は手話を習得し、母の側に座り家族の会話を手話で通訳した[。
⑥ 父は、ろう学校の校長となって「読唇術」の研究をしていた。
⑦ 自分の部屋から友人の部屋まで電信線をひいて、電気で音声を伝える実験をした。
⑧ 23歳のとき、カナダに移住し、さらに実験を続けた。
⑨ 父の紹介で「ボストンろう学校」の先生になった。
⑩ そのろう学校には、幼いヘレン・ケラーもいた。
⑪ ベルはヘレンケラーに、アン・サリヴァン先生を紹介した。
⑫ サリバン先生が、最初にヘレン・ケラーの家にやってきたのは、3月3日。
⑬ 1876年、人類史上初めての通話実験に成功した。(29歳)
⑭ 電話での最初の言葉は、「ワトソン君、用事がある、すぐ来い」だった。
⑮ 1877年結婚。奥さんも、ろう者。
⑯ その後も水中翼船とか、いろいろ発明。1922年(大正12年)死去(75歳)
なお、ベル先生は、電話嫌いで、自分の部屋には電話は置かなかった。
死ぬときに、「自分の発明のなかで、電話なんてものは余計だったな」
と言ったというエピソードがあります。
耳の日について
① 3月3日は「耳の日」です。
② 「耳の日」は、昭和31年、日本耳鼻咽喉科学会により定められました。
③ 偶然ですが、ベル先生の誕生日で、また、ヘレンケラーがサリバン先生と出会った日も3月3日です。
④ このことから、3月3日は「耳の日」として世界共通となっています。
⑤ 耳の日には、日本各地で「耳の日フェスティバル」などが行われます。
デシベル(dB)について。
① 音の大きさを表す単位としてデシベルが使われています。
② 「ベル(Bell)」という単位はベル先生の名前からとったものです。
③ 「1デシベル(dB)」は、「1ベルの 1/10 のことです。
④ つまり、1ベルは10デシベル ( 1B=10dB )
⑤ 「デシベル」は「聴力(の損失)」を表す単位として使われます。
120デシベル ・飛行機のエンジンの近く
110デシベル ・自動車の警笛(前方2m)・リベット打ち
100デシベル ・電車が通るときのガードの下
90デシベル ・犬の鳴き声(正面5m)・騒々しい工場の中・カラオケ(店内客席中央)
80デシベル ・地下鉄の車内・電車の車内・ピアノ(正面1m)
70デシベル ・ステレオ(正面1m、夜間)・騒々しい事務所の中・騒々しい街頭
60デシベル ・静かな乗用車・普通の会話
50デシベル ・静かな事務所・クーラー(屋外機、始動時)
40デシベル ・市内の深夜・図書館・静かな住宅の昼
30デシベル ・郊外の深夜・ささやき声
20デシベル ・木の葉のふれあう音・置時計の秒針の音(前方1m)
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2015..6.4
2015年06月04日
聴覚障害者ワッペンの提案

雨が上がりました。(6/4) [ #塩尻 ]
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難聴者の心理的アンビバレンス [ #難聴 ]
外見では皆さん普通に(健聴者と同じように)話をしていると
難聴者だと分からないのが現実です。
すぐに分かる様なワッペンとかあるといいと思います。
(=入門講座受講生から)
ご指摘、ごもっともですね。
難聴は見えない障害だから、なかなか理解してもらえない。
ならば、見えるようにすれば・・・
この質問に関連して、2011年5月20日の当ブログの記事を再掲します。
思い出したのですが、昭和50年代に(※註)ambivalence:心理学の用語で、
聴障者の「イエローキャップ運動」というのがありました。
交通事故などの防止のために聴障者は、
ふだんからイエローキャップを利用して、
これを広く一般に広めようという運動だった。
いつのまにか立ち消えになってしまった。
・・・・・(中略)
やっぱりこれは、運動としては広がらないような気もします。
難聴者は自分の難聴を隠したがる。
それもまた、ひとつの否定できない、悲しい心のあや、
アンビバレンス(※註)というものです。
2011.5.20
ある対象に対して相反する感情を同時に持つこと。
「障害の受容」とも関係があると思いますが、
自分の障害がしっかり受容できている者でも、
やはり、時と場合によって、
このアンビバレンスが頭をもたげます。
これは難聴者の「サガ」かもしれない。
一例として、

塩尻市の福祉課が作ってくださったビブスです。
ありがたいことです。
災害時には必須のアイテムです。
本当は、普段からこれを着けていれば、
外から見て聴覚障害者であることがはっきりわかります。
でも、
だからといって、
これを着けて電車に乗ったり街中を歩いたりするには、
やはり(私でも)抵抗があります。
全国共通のワッペンなら、私はよいと思う。
グッド・アイデア、検討に値するご提案ですね。
有難うございました。
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2015.6.4
Posted by 六万石 at
09:05