2014年06月21日
飯田地区情報
<メールいただきました>
いや、これはまた、すごい情報です。
情報をお寄せくださったのは「ペンペン草」
故郷が飯田の方です。
長野難聴としては、いまのところ、飯田が空白。
なんとかしなければ。
要約筆記者はいる。
それを核にして、なんとか支部結成を、
そう思っております。
飯田線「切石」駅。
あの駅は、急カーブのところへホームをつけて、
ホームと列車の間隔が、常識外れに、
ものすごく開いていて、、
普通に降りようとすると危険!
でしたが・・・
今も、かな?
ブログの中に 久米路橋がでてきましたね。
知ってます。
「得得」
今もありますね。
鼎(かなえ)のあたりはすっかり変わってしまい、上の平(飯田の中心部)より
にぎやかになってしまいました。
イオン、アピタ、バロー、ステーキ宮コメダ、西松屋 平安堂などなど
メジャーなお店はほとんどあります。
食べ物屋もたくさんあって すごいなぁと思います。
飯田はほんとに郊外が発展してしまいました。
やはり道路ですね。
久米路橋からもう少し西へ行くと切石というところに行き、
そこにも新しい道路ができています。三遠南信につながるのか?
飯田はほんとどんどん変わります。
リニアが来たらもっと変わるのかな。
ではまた。
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いや、これはまた、すごい情報です。
情報をお寄せくださったのは「ペンペン草」
故郷が飯田の方です。
長野難聴としては、いまのところ、飯田が空白。
なんとかしなければ。
要約筆記者はいる。
それを核にして、なんとか支部結成を、
そう思っております。
飯田線「切石」駅。
あの駅は、急カーブのところへホームをつけて、
ホームと列車の間隔が、常識外れに、
ものすごく開いていて、、
普通に降りようとすると危険!
でしたが・・・
今も、かな?
Posted by 六万石 at
18:40
2014年06月21日
原田泰治さんの青春

塩尻市役所 庭園

塩尻市役所、
レザンホール、
総合文化センター ・・・
そのの一帯は、かつて、
桔梗ヶ原高校
であった。
そのレザンホールで、原田泰治の講演会があり、
要約筆記スクリーン付だったので、参加した。
長野難聴の仲間の浜さんも諏訪から来ていた。
淡々とした話しぶりだったが、
圧倒的な内容が聴衆を惹きつけて、
2時間の講演時間があっという間に過ぎた。
生い立ちを語る中でのエピソード。
諏訪実の定時制の弁論大会で1位になった。
県大会は桔梗ケ原高校という学校で行われたんですね。
私はそこで県優勝した。
急に自信がついた。
人生が大きく変わった。
その話をされているときの原田泰治氏は、
顔を少し上に向けて、
思いは
遠い青春の日々を巡っているようだった。
原田泰治氏はそのとき、
気付いておられなかったのである。
このレザンホールこそ、
今、講演をしていらっしゃる、そのステージこそ、
かつて,
桔梗が原高校。
輝く、
青春の演壇であったことを。
(註)原田泰治:1歳児の時小児麻痺にかかり、両足が不自由になる。
上諏訪中学校、諏訪実業高校卒業後、武蔵野美術大学に入学。
はじめは洋画家を志すも、途中でデザインに転向。
その後の活躍はみなさんご存じのとおり。
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2014.6.21
Posted by 六万石 at
05:33