2013年12月27日
四柱神社(松本・縄手)
四柱神社(よはしらじんじゃ)。
・天之御中主神、
・高皇産霊神、
・神皇産霊神、
・天照大神
上記の4柱の神を祀ることから四柱神社という。
願いごと結びの神。
※ 地元では「しんとう(神道)さん」とも呼ばれるが「しはしらじんじゃ」は間違い。
Posted by 六万石 at
08:08
2013年12月26日
縄手通り・「歳の市」
松本・縄手通り。 2013.12.25 撮影
24日はクリスマス・イブで、25日はクリスマスのはずが、
イブを過ぎると、もう、そそくさとクリスマスツリーを片付けて、
街は一気に年末ムードに突入した。
宗教とは縁のなさそうな茶髪のお兄さんも、縁起物を買い求めていた。
Posted by 六万石 at
18:49
2013年12月25日
12月25日の記事
広丘駅前の美容院の屋上のイルミネーション。
この美容院、店主(72歳)の創意工夫はかなり有名で、
夏には屋上に風車がまわっています。
建物もおしゃれです。
さて、西さんからのコメント
実は僕の書き込みにも『主語』が欠落していたので分かり難かったかも知れませんね。
難聴者主体の学習会でのことを指しているのではなく、主に手話通訳者を目指している聴者主体の学習会に僕という超初心者が混入した時点で大間違いだったのです。
今一度指摘しますが、みみばぁちゃんが書き込まれたような文字支援は全くなかったので、『手話を学ぶには要約筆記は必要ない』を富山の現状に当てはめると難聴者にとってはとても辛いものを感じたので長文を書き込みました。
そして、その特定の『場』を指摘するとギクシャクすることが多々ありそうなので敢えて曖昧に書き込んでしまいました。
難聴者・中途失聴者を取り巻く環境は、
手話の学習であれ行政の取り組みであれ富山の現状は、長野の現状の10年遅れでしょうか。
みみばぁちゃんやろぜっと山口さんやろくさんの書き込みを読みながら
何時も羨ましく思うと同時に、おそらく私たちが求め目指す方向は『長野モデル』を参考にして行けばいいのかななんて何時も感じながらご意見を読ませて頂いています。
Posted by 西 at 2013年12月25日
「長野モデル」なんて、めっそうもない。
’難聴者・中途失聴者を取り巻く環境は手話の学習であれ行政の取り組みであれ’
長野県も例にもれず、たいへん厳しいです。
一条の光があるとすれば、
要約筆記者と利用者が「固い絆で」(田澤会長)、
忌憚なく意見を出し合っている、
というところでしょうか。(ROKU)
この記事へのコメント
そうですね~長野モデルなんてめっそうもないです(笑)
難聴者の協会が実績を積んできたということに尽きると思います。
難聴者協会の活動が活発になるに伴い、要約筆記の団体が必要だと判断され、現在の形になったそうです。
人を動かすには当事者の声が大切だと痛感しております。
声が上がれば支援者も集まる!大勢になれば声も大きくなります。
そこかなぁ…一番は…
Posted by ろぜっと山口 at 2013年12月26
よし!
来年は頑張るぞ〜!Posted by 西 at 2013年12月26日
2013年12月25日
2013年12月24日
夜のプラットホーム
星はまたたく 夜ふかく
なりわたる なりわたる
プラットホームの 別れのベルよ
さよなら さよなら 君いつ帰る・・・・
二葉あき子でしたかね。
Posted by 六万石 at
23:11
2013年12月24日
12月24日の記事
<コメント>
そうです、そうです。
私も断言するわけではありません。
塩尻の難聴者グループの場合、ごく初歩段階の学習では要約筆記者についてもらいました。、
指導していただいた手話通訳士が難聴者の状況を理解してくださり、
手話単語をホワイトボードで書いてから、手話の形を教えてくださった。
結果的に、要約筆記者はごく補助的な役割を担うことなりました。
やっていくうちに、要約筆記者もご一緒に手話したりして、楽しかったです。
「指導者が難聴者を無視して進めて、それを要約筆記者が遅れ遅れに追いかける」
「難聴者が手話を見ないで文字の方だけを見ている」
という方法ではうまくいかない、と、
そういうことを言いたかったわけです。
記事のタイトルがちょっとまずかったかな、と反省しています。
(ROKU)
手話を学ぶには要約筆記は必要ないと断言するわけではありません。
要約筆記があると、難聴者は要約筆記に頼ってしまうというか、ついつい要約筆記に目がいってしまい手話に集中できないということになりやすいということかと理解していました。
英語を学ぶには日本語が使えない状態、たとえば英語圏にホームスティするのが良いというのと似ているかと思います。
要約筆記通訳はつけないでやりましたが、分らないときは筆談を取り入れて進めました。
通訳が無いと「今のは何?」と必然的に質問することになるので覚えやすいように感じました。
「それぞれの有り様の中でこそ、手話学習の場が成立して行けばいいのではないでしょうか。」
その通りですね。
Posted by みみばぁちゃん at 2013年12月24日
そうです、そうです。
私も断言するわけではありません。
塩尻の難聴者グループの場合、ごく初歩段階の学習では要約筆記者についてもらいました。、
指導していただいた手話通訳士が難聴者の状況を理解してくださり、
手話単語をホワイトボードで書いてから、手話の形を教えてくださった。
結果的に、要約筆記者はごく補助的な役割を担うことなりました。
やっていくうちに、要約筆記者もご一緒に手話したりして、楽しかったです。
「指導者が難聴者を無視して進めて、それを要約筆記者が遅れ遅れに追いかける」
「難聴者が手話を見ないで文字の方だけを見ている」
という方法ではうまくいかない、と、
そういうことを言いたかったわけです。
記事のタイトルがちょっとまずかったかな、と反省しています。
(ROKU)
2013年12月24日
2013年12月23日
手話サークルと難聴者
<西さんからのコメントです>
西さん、有難うございました。
実は、私もまた、ちょっと似たような体験があるのですが、
いずれまた書きます。近日中に書きますね。(ROKU)
新しい言語を獲得する近道はないと聞いていますし、
また、習うより慣れろとも聞いています。
手話の学習もまた然りと心得ました。
これから僕の体験を書きます。
手話サークルに参加したのは今から4年前です。
サークルには講師役のろう者と聴者会わせて20名程度集まっていた。
その中で難聴者は僕だけ。
そのサークルに参加している方は手話基本講座や応用講座を修了した方や受講中といった僕にすると雲上人ばかりでした。
またく手話を知らない僕に
皆さんとても親切に手話のイロハを教えてくれました。
しかし、その教えは全て口語でした。
何度か聞き分けが難しいのでと説明しましたがなかなか理解して頂けず、
全て口語による手話学習は困難を極めました。
手話辞典で『単語』を調べ予習や復習を繰り返すも、
単語を並べ留だけでは到底文章にはならず、
また、幾つか単語を組み合わせる述語に至ってはちんぷんかんぷん。
雑談や楽しげな会話はともかく、
せめて口語で説明する部分だけでも良いから文字支援があればどれだけサークルが楽しいモノになったか知れません。
それでも皆さんは目一杯のボランティア精神に敬服すると同時に
何時も自分のために済みませんの気持ちが先に立って、
いつものように、毎日幾度も繰り返す申し訳ないから来る遠慮や物言えぬ『負け犬精神』で、”筆談”をお願いすることが出来なかったのです。
その後何カ所かの手話サークルに在籍し、手話学習を継続しています。
今まで何人かの”中途難聴者”が見学に来られましたが、
そのほとんど(と言っても4名ですが)は、
学習内容が聞き分けが出来ない。
楽しげに雑談しているが、楽しさの中身が分からない。
何故笑っているのだろう。
耳元で大きな声で話しをされた・・・等々・・・等々の理由で
サークルに参加されないのです。
状況に寄るのでしょうか。
「手話教室に要約筆記通訳は必要ない、付いていると手話を覚えられない」現象が起きるのでしょうか?
今、難聴者4名だけという小さな集まりですが
細々と手話学習と称した催しを開催しています。
この集まりでは口語の全てを文字情報にしていますし、
『手話の語源』を僕がイラストで表示したりしながら
のんびりとそれぞれのペースに会わせた楽しい学習会を目指しています。
「手話教室に要約筆記通訳は必要ない」の正反対の方法を採用していますが
今まで手話サークルで疎外感を強く感じてきた皆さんが、
大きな声で笑いながら雑談する様は
施設職員曰く『本当に楽しそうに手話しておられたね』と
評して下さいました。
新しい言語を獲得する道は遥か遠い道のりだと思います。
生半可な覚悟では習得なんて出来ないことは僕も薄々知っています。
ですが、今まで散々苦渋を感じてきた仲間たち(難聴者)と一緒に
例え遠回りであったとしても楽しく、息長く、ゆるゆると、個々人の生活の中で必要と思われる内容を重視しながら手話学習に結びつけて行ければいいなと思っています。
『〜ねばならない』や『〜べきである』ではなく
どんな形であれ、その形が最善だとか良いとかということではなく
それぞれの有り様の中でこそ、手話学習の場が成立して行けばいいのではないでしょうか。
Posted by 西 at 2013年12月23日
西さん、有難うございました。
実は、私もまた、ちょっと似たような体験があるのですが、
いずれまた書きます。近日中に書きますね。(ROKU)
2013年12月23日
「写り込み」
市町村の防災行政無線は、防災行政の情報提供のために設置・運用される。
情報を有線放送にのせて流している市町村もある。
聴覚障害者にはその情報が届かなかった・・・というのが阪神・淡路大震災ならびに
東北大地震の津波情報であった。
防災行政無線文字表示型戸別受信機を設置する市町村が増えてきている。
県内では塩尻市、伊那市にはすでに設置され、
長野市でもMさんKさんが代表して(長野難聴として)設置を要望中である。
行政からの情報は同じ税金を納めている市民にとって平等でなくてはならないのは
言うまでもない。
塩尻市では災害情報だけでなく、日頃は、防犯情報も流している。
私こと、このところ心臓の状態があまり良いとはいえないので、
昨日はのんびりと家にいて、テレビで高校駅伝を観戦した。
結果はみなさんご存じのとおり、男子の佐久長聖高校が5位入賞、
女子の長野東高校も10位と大健闘した。
実況中継で、今年初めて字幕が付いた。(=写真)
念願がかなって嬉しかった。
ところで、テレビの画面をそのままブログにのせるのは著作権法に抵触する。
そこで、傍らの行政無線文字表示機を撮ったのである。
「文字表示機を撮ったら、たまたまテレビも写真に写ってしまった」
いわゆる
「写り込み」
である。
どうだ。文句あるか。
(ROKU)
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この記事へのコメントから
文句ありませ~ん(^o^)丿
Posted by ろぜっと山口 at 2013年12月23日
Re. (^o^)丿 (ROKU)
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