2013年11月10日

「聞くこと」に疲れました

なぜ聞き返さない? 
るーさんからのコメントです。

(今までのコメント書き入れの方たちのレスと)まったくの同感です。

私は難聴時代を経て現在、全ろうです。

 いざ失聴してみると意外にスッキリしました。
というのは難聴時代では「聞こえる存在」でいることに苦悩していたんじゃないかと思います。

知らず知らず場の空気を壊してはいけないと思い、みんなが笑えば会話が分からなくとも一緒に笑う・・・みなさん同じ苦しみを抱えてるんじゃないですかね。

いったん失聴すれば同じように笑えば「今の分かったの!?」ってしばしば言われます(笑)

分かってませんから(笑)

そのぐらい「聞こえる存在」というのはお互いが勘違いしてしまいますよね。

健聴の方々でも聞き取れないこともよくあるみたいですよね。
職場でもよくそんな話は聞きますけど。
でも難聴の方々は聞きたくてもあきらかにもっと聞き取れないのです。

読み取ったひとつひとつの言葉を頭の中で必死でイメージを膨らませています。

失聴した今も読み取れたいくつかの言葉で勝手にイメージを作ってます。

分からない顔してても教えてくれるわけじゃありませんし・・・

共有できないのが辛いですが、、、一番重要な肝心なことは手話や筆談で教えてくれたりしてますし、これ以上はその場の雰囲気を壊せない故に遠慮してしまって要求できないのが現実なのかもしれません。

聞こえる人も聞こえない人も共有できる社会になってほしいです。

Posted by るー


続いて、おなじみ、西さんのコメントです。
全く同感です。

聞こえるグループにはいると「補聴器はどうした?」
「真面目に聞かないから聞こえないんだ!」と叱られ、
聞こえないグループにはいると「手話が下手くそ」と厭きられ、
「真面目に勉強しろ!」と叱られる。

いったいどこ向いて生きて行けばいいのか?
下か?上か?それともウソ笑いか?
Posted by 西 at 2013年11月09日
・・・・・・・・・・・・・・・
昨年でしたか、一昨年でしたか、
私はもう、(補聴器で)聞き取ろうとする努力に疲れはてました
という、たしかこれは、女性の方からのコメントだったと記憶します。
筆者はその言葉に影響され、
大いに励まされました。、
現在では普段、補聴器を使っておりません。
(ROKU)
  


Posted by 六万石 at 09:48