2013年11月20日
中途失聴者としての手話
おなじみ、西さんからのコメントです。
(中途失聴・難聴者は)
「自分のことは自分の声で伝えることが出来る」
手話の本に載っているお定まりの例文
「この辺に銀行がありますか?」
「トイレはどこですか?」
「胃が痛いのです」
・・・・
そういうのは、全部、口で言えるんで。(当たり前のことだが)
だから、手話が上手にできないからといって切羽詰まっているわけではない。
しかし、えんぱーくの受付だとか、
ちょっと手話のできる方に道でばったり出会ったときとか、
そういうとき、紙に書かないで会話ができてしまうというのは、
やっぱり現実に楽しいものだ。
(ROKU)
何度か夢の中で手話を使っていることがあります。
友人達と話ししている時、無意識で手話を併用している時があります。
一見凄いことのように思えるのですが、
実は、日本語で考えた言葉を手話に変換しているに過ぎず(日本語対応手話という奴です)、やはり僕の母語は日本語なのです。
手話上級者やろう友からは、もっと真面目に手話の勉強をせよとか、ろう者と毎日付き合えば必然的に手話が上達するなんて何時も言われていますが、
ちょっと待ってくれ!
僕は手話通訳者には成れないし、日本手話の使い手になることを目的として手話を習っている訳ではないのです。
何故なら、僕は自分のことは自分の声で伝えることが出来るのです。僕が手話を必要とする場面で、通訳する手話通訳者が僕の手話力に対応した手話で伝えてくれればいいだけなのです。
つまり、日本語で考えた日本語から置換した対応手話で語ってくれれば事足りるのです。
ちょっと愚痴でした。
Posted by 西 at 2013年11月19
(中途失聴・難聴者は)
「自分のことは自分の声で伝えることが出来る」
手話の本に載っているお定まりの例文
「この辺に銀行がありますか?」
「トイレはどこですか?」
「胃が痛いのです」
・・・・
そういうのは、全部、口で言えるんで。(当たり前のことだが)
だから、手話が上手にできないからといって切羽詰まっているわけではない。
しかし、えんぱーくの受付だとか、
ちょっと手話のできる方に道でばったり出会ったときとか、
そういうとき、紙に書かないで会話ができてしまうというのは、
やっぱり現実に楽しいものだ。
(ROKU)